セネガルとガンビアの国境を越えて、無事にガンビアに入国した。
セレクンダという町に宿をとっていて、そこでブログを書いている。
今日の距離は65kmくらいだったけど、朝8時に出て、着いたのが16:30ごろ。
ずいぶん時間がかかった。
まずは国境。
セネガルとガンビアのイミグレーションは、同じエリア内にある。
そのため、お金をせびる子どもたちや両替屋が、国境またいでうろうろしている状況。
以前は一時的にセネガンビアという1つの国になったこともあるだけに、友好関係にあるのだろう。
セネガル側でまず、両替屋がガンビアの通貨であるダラシ紙幣を大量に持ち、声をかけてきた。
あらかじめ調べておいた公式レートを見せて交渉。
スマホの計算機アプリで、合意したレートに換金する金額を掛けて提示。
それでOKということになり、こちらからセネガルの紙幣を出す。
予定の金額をもらってからでないと、手には持っておくが渡さない。
ばさっと手渡して金額を数えてみると、案の定足らない。
違うだろというと、数枚数えて渡してくるが、まだ少ない。
そして、最終的に合意した金額になったので、手に持っていたセネガル紙幣を渡した。
両替屋はあわよくばとだましてくるから面倒。
しかし、両替しておかないと、ガンビアで何もできない。
銀行といっても、大きな街までいかないとない。
というわけで彼らのビジネスが成りっている。
日本円にして1万円ほどをセネガルのセーファー→ガンビアのダラシに替えたが、彼の利益は500円ほど。
おいしい商売ではあるけど、きっと国境関連の役人にしょば代を払っているのだろう。
非合法ではあるけれど、国をまたぐところではいろんな商売が成り立つようだ。
その後、セネガルのイミグレにいくが、出国手続きはスムーズに終了。
ガンビアに入るにはビザが必要だが、日本であらかじめ取っておいたので、こちらも特に問題なくパスポートにハンコがもらえた。
ガンビアに入っての印象は、セネガルと生活様式が変わるわけではなく、むしろ同じ景色が続いている。
違う点が1点だけあって、それは看板の表記がフランス語から英語に変わったこと。
これは想像以上にうれしかった。
何度も経験していることであるけれど、書いてあることがわかるのがこんなにありがたいとは。
ただの記号にしか見えないものから、理解できる文字に変わる、識字は大切だと改めて感じる。
晴れてガンビアに入国できたが、ガンビアの中心地であるバンジュールは国境から20kmほど走り、そこからフェリーで渡って向こう岸にある。
ガンビアは岐阜県ほどの面積で横にほそ長い。
その中心にガンビア側が東から西に流れていて、フェリーで渡るのはその河口。
河口といってもずいぶん広い。橋をかけるにも川幅が広すぎるのだろう、対岸への往来は周辺ではここしかない。
だから、大量の物資を積んだトラックや人や牛やヤギ、いろんなものがフェリーで運ばれる。
このフェリーに時間がかかった。
11時ごろに出発するのがあるという情報を得ていたので、国境から急いで10:45ごろついたが、フェリー乗り場は閑散としていた。
チケットを買い、屋外の指定された場所で日陰を探しながら待つこと2時間。
13時に乗船が始まる。
バイクと自転車は先に入らせてもらえた。ラッキーと思いきや、車両エリアの端で待機。
トラックや車がどんどん入ってくるが、その隙間にバイクと自転車は隙間を埋めるように入れられる。
前後も詰まり、動くこともできず、1時間後に出航。
45分ほどかけて対岸に着いたときには、15時をまわっていた。
そこからは再び自転車で出発したが、街のなかの第一印象はセネガルよりも整っている気がする。
セネガルの煙幕を張ったように走る車が少なく、タクシーもボンネットや窓ガラスが飛んでいきそうな感じでもなく、古いけれどきちんとしている。
そして、肌の色が黒くない人を見かけるようになった。
休憩で入ったカフェでオーナーらしき人に出身を聞くと、レバノンだった。
レバノン人はガンビアにそこそこいるとのこと。
フランス語から英語に変わることで、ビジネスでやってくる人たちも変わるのだろうか。
民族的には同じような民族らしいが、国が変わると変わるものだ。
いろんなところに興味が向かう。
こうしたことを紐解いていくのが楽しいが、時間はあまりなさそう。
明日からは、日本人でガンビアの伝統的な太鼓を叩いているミュージシャンのお宅にお世話になる予定。
旅の終盤はガンビアの伝統的な文化に触れてみたい。