今日も朝から天気がいい。
朝から天気がいいというのは
野宿にとってはとってもうれしい。
荷物の8割ほどをテントの中にいれるので
雨だと積み込みが大変。
それ以上に、濡れたテントをそのまま畳むのが厳しい。
だから朝から晴れていると
とてもうれしく気分もいいのだ。
気分がいいからお腹も減る。
しかも、毎日歩いているから消費も早い。
お腹と背中がくっつきそうなくらい
気持ち的にはお腹がすいている。
20年ぶりだろうか
朝から牛丼屋に駆け込んでしまった。
おにぎりやパンなどという
なまやさしいものでは歯が立たない。
この尖った空腹感は20代のそれだ。
牛丼並では5秒もあれば
たいらげてしまえそうだから
大盛をオーダー。
30秒でかき込むと、
あとから満足感がブワーッと
広がってくる。
この感じ、そう10代のそれだ。
お代わり!とは
さすがにならないけどね。
風はきついがココロはすっかり穏やか。
足取りも軽く歩いていると、後ろから
「すみません!これなんですか?」と
声が聞こえた。
止まって振り向くと、自転車に乗った若者だった。
大学に通っているそうだ。
スペイン語を勉強している流れからか
カミーノのことも聞いたことがあるらしい。
ここにもいたカミーノ予備軍がいたか。
カミーノ宣教師になりたてのぼくが、
カミーノついて彼に熱く語るのだ。
カミーノとは、サンティアゴ巡礼道のことで、
カトリックの巡礼道になっている。
スペインの北西端あたりに
サンティアゴ・デ・コンポステーラという街がある。
そこの大聖堂に聖ヤコブさんが葬られていて
エルサレム、ローマとあわせて三大聖地となっている。
この大聖堂をめがけて、ヨーロッパの各地から
巡礼の道が伸びているのだ。
そのなかでも、近年最もメジャーなのが、
フランス人の道と呼ばれるルート。
ピレネー山脈の東麓(フランス)にある
サン・ジャン・ピエ・ド・ポーという街から出発して
サンティアゴを目指す800kmの道のり。
この道を年間20万人近くの人が歩くそうだ。
歩いているのはカトリック信者だけではない。
ぼくのような冠婚葬祭のときだけ仏教徒になるような
信仰心のない人もたくさん歩いている。
この道の魅力は、なんといっても
巡礼道と巡礼宿が整備されていること。
スペインのフランス人の道は広めだし
目立って険しい道もない。
治安もいい。
巡礼者専用の宿が町にいくつもある。
そして安い。
1泊5~10ユーロ。
1ユーロ=130円として
かけ算すると、え~!という金額だ。
宿では自炊もできるから、
食費を切り詰めようと思えば
それも叶えられる。
巡礼者の多くはフレンドリー。
不思議な出会いにも遭遇するかもしれない。
歩いて旅をするから、
スペインの文化を歩くスピードで
感じることができる。
これはとても重要なこと。
歩く時代に作られたものは、
歩くスピードで見ることによって
見えてくるものがあると
ぼくは勝手に思っている。
それを1ヶ月以上も毎日行うのだから
単なる旅行とは、規模も深みも違う。
そんな貴重な経験がとてもリーズナブルで
できてしまう。
それが、カミーノの大きな魅力のひとつだ。
カミーノのことは、2017年4月から歩いたブログがあるので
ご興味のある方はこちへどうぞ!!
【サンティアゴ巡礼・ル・ピュイの道〜フランス人の道】
それを大学生に伝えることができてよかった。
彼は、カレンダーを買ってくれて
リヤカーにメッセージも書いてくれた。
年配の人たちに気持ちが届くのもうれしいが、
やはり若い人にもっと届けたい。
彼と別れて、そのことを考えていたようで
周囲が見えていなかったが、
ふと遠くへ目をやったときに
圧倒的な風景が飛び込んできた。
富士山だ。
一歩足を引いて
のけぞってしまうほどの感動だ。
「やっぱり日本一の山や」
感動が止まらない。
のけぞってしまったココロをゆっくり戻すと
思わず手をあわせてしまう。
神々しい。
世界にそびえる山々と比べると
富士山はかなり低い。
エベレストのベースキャンプにも標高では及ばない。
しかし、稜線が、麓から、いや海沿いから
頂きまで一筆で伸びる山は
そう多くないのだろう。
そのシルエットが雄大で美しい。
ぼくは、新幹線や車の車窓から
見たことはあったけれど
こうして、まじまじと対峙するように
見たのは初めてだった。
感動的な富士山との出会い。
これから数日間は富士山の見る旅になる。
それだけで、ぼくにとっては
かなり非日常な体験だ。
今日の目的地平塚駅前に着いた。
リヤカーを止めて、ぐるりと一回りして
人の流れを見る。
人の流れの近くで、動線を塞がない場所は
地元民らしき路上販売の人が陣取っていた。
そこで、別の場所を探して歩くが、
いいなと思う場所がお店前だったりして、
定まらない。
注意されたら動こうと思って広げ始めた。
すると、さっそくおじさんがやってきた。
「どこから来たの?」と始まったので、
いつものように、経緯を話したが、
どうやら、そういうことが聞きたいのでは
ないらしい。
はっきりとは言わないけれど、
「わしらのシマで挨拶もなく何してんの?」
というニュアンスだ。
さっきまで、鳩に餌あげたり
ホウキを持って掃除をしていたおじさんが
変貌してきた。
「ワシには、天下に轟く○○組三代目
T組長と兄弟の盃を交わした
古い友達がおる。
まぁ、ここらで、ワシは怖いもんなしや。
警察もワシの前は素通りや」
どんなもんだい!ってな感じだ。
そんな話しにも
きちんと付き合ってあげていると
こっちはお店の邪魔になるから、
俺が自転車を止めている場所を使っていいよと
場所を空けてくれた。
やさしくしてくれたのか、
ショバ代よこせという意味なのか
わからなかったが、いいように解釈して
使わせてもらった。
おじさんは、ぼくから付かず離れずいた。
日も暮れて、鳩やり仲間や、
路上販売していたお仲間さんが
パラパラと帰っていったが、
おじさんだけは帰らない。
その時、ぼくは87歳になる元N○○とかという
電話会社で研究員として働いていたおじいさんに
つかまっていた。
かれこれ1時間近くは話していたと思う。
ぼくがじゃなくて。おじいさんが一方的に。
戦争中の話しから近況まで。
60歳からマラソンを始められたらしく
今でもマラソン大会に出ているそうだ。
さすがにフルマラソンははキツくなってきたという話だが、
研究職上がりなので、いちいち分析が入る。
面白かったのが、週に何日トレーニングするのが
いいかというお話し。
週2回は現状維持、
週3回から少しずつ向上するようになる。
毎日はケガやトラブルが起きやすい。
週に3~4回だとトラブルが少なく、
少しずつ向上できる。
少しでも向上するというのが大切なんだ。
現状維持だと、気持ちが続かない。
変化のないものは、衰えでもあるし。
だから、週に3〜4回がいいんだ。
そして、これはどんな事にも当てはまる。
そんなことを言っておられた。
その話しを遮って、
ぼくに話しかける勇気もなかった
変貌おじさんは、
ついに痺れを切らして帰ってしまった。
お金など払うつもりはさらさらなかったが、
どこそこの親分が、どうでこうで、という話しよりも
技術者としての戦争の話しや
87歳のマラソンの話しのほうが断然面白いのだ。
この旅をしなければおそらく会うことが
なかっただろう人に出会えている。
これが一期一会か。
そう思うと、応援の言葉も、
吐き捨てるように置いていかれた言葉も
ぼくにとっては、なんだか愛おしい。
旅はいいなぁ。
今夜は、洗濯と機器類の充電がしたかったので
平塚でホテル泊。
温かい部屋に、温かいお風呂。
たまらん!
フワーッとなったところに、
ビールを流し込んでさらにフワーッとなり
今宵もぶっ倒れるように落ちていった。