チュニジア第2の都市、スファックス。
この街がこの旅の最後を締めくくる時間となる。
ここを去ればチュニスへ戻り
僕は日本への帰路に就く。

大きな街に魅力を感じないけれど
夕暮れのスーク(市場)へ足を踏み入れたとき
その不安は心地よい裏切りへと変わった。

チュニスや他の地方都市とも違う
空気がそこには流れていた。
観光客を誘う土産物屋がほとんど見当たらない。

観光地ではどうしても
「ローカル」と「外国人」の間に
見えない境界線が引かれてしまう。

けれど、この街にはその線がない。
ただそこに暮らす人々の営みの中に
自分が溶け込んでいくような感覚。
それは、異邦人の僕にとって何よりの心地よさだ。

けれど、この穏やかな活気の裏側には
剥き出しの悲劇が沈んでいる。

路上に座り込む、サブサハラからやってきた
黒人の物乞いたちの姿が目につく。
スファックスは2020年頃から数年間、
西アフリカの人々が欧州を目指す密航の
「アフリカ最後の拠点」となってきた。

ここから鉄板を簡易に溶接しただけの
粗末なボートに詰め込まれ、
イタリアのランペデューサ島を目指す。

耐久性は良くて2日。
彼らはそれが「死の航海」であることを知りながら
それでも欧州という光を求めて荒波に身を投じる。

たどり着けなかった人々は魚の餌となり
波打ち際に打ち上げられた遺体は
ときに犬に食い荒らされることさえあったという。

僕がこの凄惨な事実に多少詳しいのは
2024年にガンビアを旅したからだ。

若者たちが欧州へ密航する「バック・ウェイ」が
深刻な当時も現在も社会問題になっている。

あのとき耳にした絶望の終着地点に、
僕は今、2年の時をやってきた。
どこか感慨深さを持ちながら街を歩く。

スークからの帰り道
路上に座り込む黒人の母子の前で
一人の白人の女の子が足を止めた。

彼女は丁寧に膝を折り
座り込む子供と同じ目線まで腰を落とした。
そして、手にしたお金をそっと丁寧に
手渡したのだ。

その光景を見ながら、胸の奥が熱くなった。

犯罪や事件の背景の一因として
「貧困」があると言われる。

けれど、僕は思うのだ。
人が絶望し、ネガティブな行動に走るのは
単にお金がないからではない。

その先にある「自らの尊厳を損なわれたとき」に
人は道を見失うのではないだろうか。

あの女の子は
決して「かわいそうな人にお恵みを」
という高慢なオーラを纏っていなかった。
同じ子供として目線を合わせ、
微笑み、敬意を持って手渡す。
それは、一方的な施しではなく、
相手を敬うあまりに美しい姿だった。

その少女の清らかさの対極に、
今のアメリカ大統領の姿が重なる。

その振る舞いは、まるで花火の事故現場を
見ているようだ。
そこには品格も、美しさも、調和もない。
ただ派手に、無秩序に、制御不能となって世界を掻き乱す。

政治という巨大な力に翻弄され
海に消えていく命がある一方で
一人の少女が路上の子供に手渡した
あの温かな一瞬。

どちらが本当の「人間の強さ」なのか。
砂埃舞うスファックスの街角で
一人ひとりの「尊厳」の重さを
深く、噛み締めた。

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