JICA海外協力隊という制度がある。

国の予算で行われる
この国際ボランティアの足跡は
世界のいたるところに刻まれている。

これまで歩いてきたサブサハラの国々でも
僕は隊員たちと出会ってきた。

アフリカの地で根を張り
暮らしている人々の中に
かつて協力隊員だったという人が
少なくないのも
この活動が持つ「生きる力」の
現れなのだろう。

ここカイロアンで僕がお世話になっている
山本崇史さんも、その一人だ。

彼は昨年の9月、兵庫県の高校で
英語教師をしていた日常を一度横に置き
この地へと赴任してきた。

いま、彼はこの街の若者たちが
健全に育っていくことを願って
設立された施設で、その日々を過ごしている。

かつて僕が旅したサブサハラの国々では
支援の形はもっと剥き出しで
分かりやすいものだった。

飢えや貧困、あるいは医療へのアクセス不全。
生きることに直結する
生命の危機との戦いがそこにはあった。

けれど、チュニジアの抱える問題は
少し毛色が異なっている。

生命の危機が日常にあるわけではない。
西側諸国がいうところの成長を続けるこの国で
若者たちが直面しているのは
「大学を出ても仕事がない」という
出口のない閉塞感だ。

未来に希望という名の光を見出せないまま
学校を去り、何をするでもなく
街を彷徨う若者たちがいる。

その深い孤独の果てに
自ら命を絶ってしまう人たちも少なくないという。
驚くことに、このカイロアンは
チュニジアの中で若者の自殺が
最も多いという統計もあるそうだ。

山本さんは、そうした社会の枠組みから
こぼれ落ちていく若者たちのために
何ができるのかを問い続けている。

異国の地で暮らし、その土地の言葉を使い
活動を共にするということは
僕のような通りすがりの旅人とは全く意味が違う。

確かな成果を出すことも大切だが
その活動を通して、自分自身がどう変化し
何を見つけていくのか。
それもまた、この遠い場所へやってきた
大切な目的の一つなのだと思う。

同行して一日目が終わり
僕の心の中には、まだ咀嚼しきれない
いくつもの重たい問いが残っている。

イスラムという、僕たちが慣れ親しんだ
西側の価値観とは根底から異なる世界。

その確固たる伝統と生活様式の上に成り立つこの国で
僕たちの「当たり前」を持ち込んでも
本当の解決策は見えてこないような気がしてならない。

それでも、その見えない壁にぶつかりながら
ひたむきに活動を続ける山本さんの背中は
どこか誇らしく、頼もしかった。

知らない土地で、誰かの心の拠り所になろうと
奮闘する彼の姿に
僕自身も静かな勇気をもらっている。

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