チュニスからスースへ、ルアージュで移動した。
チュニジアでもっとも一般的な交通手段だという。
都市間を結ぶターミナルはたいてい街の外れにあり、
そこまで辿り着くのが少し面倒だが、
いったん乗ってしまえばあとは早い。
なにより安い。旅人にとっては頼もしい存在だ。
今日のドライバーは、飛ばす人だった。
車体が小刻みに震えるほどアクセルを踏み込む。
高速道路に入ってしばらくすると、
突然路肩に停まり、ボンネットを開けた。
エンジンを覗き込み、どこかに電話をかけている。
何事もなかったように再び走り出すが
またしばらくして停車。
同じようにボンネットを開け
スマホを片手に誰かと話す。
それでも彼は、躊躇なく飛ばし続けた。
壊れかけたものを労わることもなく、全開で前へ進む。
危うさと強引さ。
チュニスで信号無視して走る車と呼応する。
この国の交通手段のリズムなのかもしれない。
結果的には、思ったよりも早くスースのターミナルに着いた。

そこから40分ほどかけて
歩いてメディナの中にあるホテルへ向かった。
スースのメディナは、チュニスに比べると
ずいぶんとコンパクトだ。
街そのものも小さいのだろう。
だが、半日歩いてみて
これくらいの大きさが
自分にはちょうどいいと感じた。

チュニスにはさまざまな価値観や暮らし向きが
混在している。
それはそれで刺激的だ。
しかし、短い滞在で街の輪郭をつかもうと
表情が絞られているほうが見えやすい。
多様性に逆行するような考えかもしれないが
表層しか触れられない者の正直な実感でもある。

ラマダンは、ここでも確かに息づいている。
午後3時を過ぎると店は片づけを始め
4時には半分以上がシャッターを下ろす。
5時にはほとんどの店が閉まる。
それでもパン屋と生鮮市場だけは
最後まで人であふれている。

パンを求める列は長く
リヤカーに山積みのパンを載せて売り歩く人もいる。
だが5時半を回る頃には、
その喧騒が嘘のように消える。
スークは静まり返り
足音だけが石畳に響く。

信仰の力とは、こういうものなのかと思う。
チュニジアはイスラムの国の中でも世俗的だと聞いていたが
それでも断食を守る人々の姿には圧倒される。
誰もいない通りで写真を撮りながら歩き
反対側の門を抜けたときだった。
人々が一方向を見上げ
スマートフォンを構えている。
小さな子どもを肩車している親子もいる。
次の瞬間、ドンという音とともに花火が打ち上がった。
夜空に華は咲かなかったが
無骨で腹に響く轟音が、マグリブの時間を告げた。
歓声が上がる。断食明けの瞬間だ。
その輪の中に自分がいることが
ただ嬉しかった。
気がつけば、見知らぬ人たちと一緒に
拍手をしていた。
これが一か月続くのだ。
連帯感が生まれないはずがない。
昼間の喧騒も、静まり返ったスークも、茜空の音も
すべてがこの街の一日を形づくっていた。
