昨年まで、ココロハチマキという
自分を奮い立たせる作品づくりを毎日していた。

ココロに言葉のはちまきを。

というのがスローガン。

その日どんなことがあっても
ココロハチマキを考えるときだけは
いい気分で自分を奮い立たせようと
平日毎日更新を目指して日課にしていた。

体裁としては
写真の上に、言葉をのせて
仕上げたもの。
ポスター感覚で作っていた。

ーーー いいちこポスター ーーー

ぼくの年代の人なら、わかる人も多いかもしれない。

いいちこの瓶が、知らない町を旅するように
風景のなかに佇む一枚の写真。
そこに、一本の詩的な文字で世界を広げながら
定着させていく。

とても好きな作品だった。
商品となるいいちこの瓶は風景のなかに
溶け込んでいるけれど、人にも似た存在感がある。

人の存在感というのは、ぼくのなかでは圧倒的だ。
風景のなかに、点くらいの大きさでも
人の姿が写るとその風景は一変する。
その人の物語が動きだすような感覚になる。
それが、いいちこの瓶にもあてはまるように
うまく撮られていた。

そこにハーッとため息が出るような
コピーが添えられていると、
一気に想像力が指向性をもって膨らんでいく。
幸せな気分になる一瞬だ。

ぼくもこんなポスターが作ってみたい。
20代のころコピーライターとして働いていた当時
そう思いながら、いいちこポスターが
本にまとめられたものを
タバコを吸いながら眺めていた。

今でも思い出すが、1980年代の
コピーライターズ年鑑を見ると
受賞者の8〜9割はたばこを燻らせながら
写真におさまっていたように思う。

タバコが思慮深さを醸し出す
小道具のように存在感を放っていた。

今では匂いや煙の行き場がなくなるほど
社会の窓際に追いやられてしまっている。

ぼくも1日2箱は吸っていたのに、
今では少しでも匂いが漂ってくるだけでも
その場から立ち去りたくなってしまう。
そのくせ、タバコを吸う夢を未だに見る。

こんなポスターを作ってみたい。
その想いがコピーライターを辞めて
十数年が経った40半ばで
ココロハチマキとして結実した。

内容は、いいちことは
別世界のものだけど、
ココロハチマキを作るきっかけとなった
要因であることには間違いない。

残念ながら、いいちこ自体は
焼酎の味があまりわからないので
たまにしか飲まない。

だけど、売られている
いいちこの瓶を見ると
あのポスターたちの世界観が
広がっていく。

今でも本を引っ張り出してきては
眺めている。

また何か作ってみたいなぁと思いながら。

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