前回は、サンティアゴ巡礼に出発する前のことを書いたが、
今回は戻ってきてからのことを書いてみようと思う。
2017年7月半ばに日本に戻ってきた。
90日ぶりの自宅。
玄関を入るとわが家のニオイがする。
懐かしい。そしてホッとする。
体を休めることもなく
帰国後の挨拶や旅の報告まわりをしながら
撮ってきた写真の編集に取り掛かった。
カレンダーを作るためだ。
ところが、あることに気づいた。
今回の旅に出る前にもカレンダーを作った。
それは、サンティアゴ巡礼の旅の資金を得るため。
そして、自分が旅の写真家として旅をすることを
多くの人に知ってもらうためだった。
カレンダーは目標の500部を完売。
たくさんの人の後押しで旅を
実現することができた。
ありがとうございます!です。
ただ、そのカレンダーと
これから作るカレンダーでは
意味合いが違う。
昨年販売したカレンダーは、
写真家として新たな道で
頑張れよ!応援するよ!と買ってくれたものだ。
そこにはご祝儀的な意味も当然入っている。
一方で、これから作るカレンダーは、
帰国後のもの。
頑張れよと送り出してもらった旅は
ゴールした時点で終わったのだ。
それなのに、また来年のカレンダー?
それどうなん?と思う人は当然いるだろう。
次はそんなに買ってもらえないだろう。
しかし、それでは困る。
どうしようかと考え始めた。
当たり前のことだけど、
ぼくのことなど友だちや知り合い以外は
誰もしらない。
しかし、知らない人に買ってもらわないと
これからはやっていけない。
じゃあ、知ってもらうためにはどうするか?
悩んだ末に出てきたアイデアが
最近は見かけなくなった行商だった。
SNS時代に行商?
そう思うとなんだかワクワクしてきた。
舞鶴に住んでいた学生の頃、
たまに汽車に乗ると、小さな体に
身長をはるかに超える大きな荷物を
背負ったおばさんたちが
乗り込んできたのを覚えている。
すごいエネルギーだった。
それは大きな荷物を背負う力強さというよりも
おばさんたちの生きる力を
体現したようなその姿にだった。
生きることに対する胆力に
圧倒されたのかもしれない。
なんとも力が湧いてくる思い出だ。
そんなおばさんたちのことを頭に浮かべながら
行商の旅のプランを具体化させていった。
そして、まとまったのが
リヤカーにカレンダーを積んで歩く
東海道57次カレンダー行商の旅。だった。
東海道と言えば53次。
東京日本橋から京都の三条大橋までが有名だけど
そこからさらに4次つないで57次もあったようだ。
大阪の終点は高麗橋あたりらしいが、
そこはゴールのしやすさも考えて大阪駅にした。
東京日本橋からおよそ560km。
この道のりを歩きながら行商しよう。
アウトラインは決まった。
次の課題は、行商の旅での相棒となるリヤカーを
どうするかだ。
ネットで調べると安いものは1万円台である。
しかし、それで560kmを歩けるとは
到底思えなかった。
価格と耐久性はおそらく比例する。
色々調べていくなかで、
(株)オオシマさんの
ハンディキャンパーにたどり着いた。
東海道を歩くなら、
歩く都道府県のメーカーさんが
いいだろうというのもあった。
連絡を取り、事情を説明してお願いしたところ、
なんと格安で譲っていただけることになったのだ。
これで一気に現実味が帯びてきた。
到着したリヤカーを友達の工房に運び込んだ。
そこに2週間ほど通って、
リヤカーの上に積む木製のボックスを作った。
自分でデザインしたのぼりも上がってきた。
そして、東京にリヤカーを送り
2017年の2回目の旅は始まった。
物事というのは、大きな歯車が動いた時は
一気にいろんなものが動いていくようだ。
東海道行商の旅をすることなど、
帰国した時にはこれっぽっちも思っていなかった。
それが思い立ってから2ヶ月足らずで
出発を迎えることになった。
大きな歯車は自分一人で動かせるものではない。
周りの協力があってこそ動かせるものだ。
チャンスの慣性が働いている。
そこに新たな歯車をはめこんでも
その大きな歯車が動き出しを助けてくれる。
これはとても大切な教訓だ。
東海道57次カレンダー行商の旅は、
リヤカーというサイズが
日本の道路の規格に合わず
歩道や陸橋で通れないところが
いくつもあった。
道路が狭く道路を歩くのが
危険な場所も少なくなかった。
そのため、57の宿場町を巡ることは
断念したが、無事、東京日本橋から大阪まで
歩き通すことができた。
100kgを超えるリヤカーを引き、
1ヶ月の約半分がキャンプだったこともあり、
サンティアゴ巡礼よりも
体力的にも厳しいものだった。
しかし、旅の道中で
たくさんの出会いをいただいた。
日本も捨てたもんじゃない。
いやいや、それどころか
日本いいよ。優しいよ。
毎日のように、いろんな人から
応援の言葉をかけてもらった。
人間と人間だから、
面倒くさいこともいっぱいあるけれど
心に人肌の温もりを感じた時に
たまらない幸福感に満たされるのだ。
日数が重なるごとに、
その気持ちが強くなった。
大阪駅でゴールを迎えた時、
これで暖かい布団で寝られると思う一方で
終わって欲しくないという
気持ちも強かった。
人肌の温もりが心に届く。
あの感覚を日常の中でも
感じられるはずだと
試行錯誤しているが簡単ではない。
それが旅に出るとできてしまう。
しかも、過酷になればなるほど、
得られる感情も強くなる。
旅を終えて戻ってきた時
しんどかった、もう嫌だ。こりごりだといいながら
しばらくすると旅に出ていく人も多い。
旅はある意味麻薬的な要素があるのかもしれない。
東海道カレンダー行商の旅のブログは
浜松までで終わってしまっていますが、
興味のある方はこちらからどうぞ。
12月に入り寒さが厳しくなって、
書くのを断念したんだなぁ。