幸先のよいスタート
今日も天気は晴れ。
今日は清水駅まで歩く予定だが
ルタさんが一緒に歩いてくれることになっている。
富士駅近くの集合場所に着くと
ルタさんはすでに到着していた。
7:30出発!となったが、
ぼくは朝食をとっていなかったので
コンビニに寄ることに。
おにぎりを買って出てくると
ルタさんが男性2人と話しをしている。
誰だろうと思っていくと
リヤカーに興味を持ってもらった人たちだった。
さすがリヤカーはモテる。
これまでの経緯を話し、写真も撮ってもらう。
ついでにぼくの写真も。
一人の方は、幼稚園バスのドライバーさん。
別れた後も運転されているバスに
2度ほど出会った。
手をあげて挨拶をしてくれる。
幸先のいいスタートだ。
ルタさんは昨晩富士市から少し離れた静岡市で
忘年会に参加していたらしい。
家にもどってきたのが1時は過ぎていたというが
けろっとした顔で一緒に歩いてもらっている。
タフな人だ。
ちょうど通勤通学の時間帯に
富士川大橋に到着するが歩道が狭い。
リヤカーが歩くと、ほぼ一方通行状態。
先の様子を見ながら前に進む。
とても迷惑なリヤカーだが
すれ違うときは、
皆さん自転車を持ち上げたりと
ご協力していただき渡りきった。
大橋をパスすると静岡市に入る。
家を建てている一角の前を通ると
たまたま現場の職人さんと出会った。
大橋の上を歩いているの見てたよ!
そういって話しを聞いてくれる。
話し込んでいるうちに
オレ買う?買おっか?よし買うよ!
意思決定の三段論法ではないけれど
そんなノリでカレンダーを買ってくれた。
ルタさんは建築系のお仕事のフリーランサーだ。
職人さんとの付き合いも多いようで、
職人気質の親方さんは、
がんばっている人を応援したくなる人が多いのよ。
と分析してくれる。
まだ9時にもなっていないのに
カレンダーを買ってもらえるとは
やはり今日はいい流れに乗っているようだ。
本物を見た
新蒲原駅を過ぎたあたりに
ルタさんの友達の家があるらしい。
そこは散髪屋さんだった。
ここでなんと休憩をすることに。
お店ではなく、その奥のご自宅で
コーヒーをいただく。
しばらくすると、県最大手の新聞社の記者が
寝ぐせのままスウェットを着て
朝食を食べにやってきた。
近所に支局があり
仕事も生活も支局でしているそうだ。
完全に我が家状態。
ここのお家は支局の若い新聞記者に
頻繁にごはんを作っては食べさせているそうだ。
へ〜と聞いていたが、
恩恵にあずかっているのは彼だけではなかった。
支局に赴任してきた歴代の記者が
何十年もお世話になっているらしい。
さらに、歴代若手記者だけではなかった。
ぼくにも、その朝食が振る舞われることに。
まだ出会って20分も経っていないのにだ。
温かいなぁと思うと同時に、こんなお家が
まだあるんだというのが驚きだ。
食事をいただきながら
自分のなかの常識が壊れていく。
この家の人たちは、この食卓で記者たちと
どんな話しをしてきたのだろう。
歴代記者はどのような想いで
食事をいただいてきたのだろう。
この家には家族という大きな幹の外側に
もう1つの年輪がある。
人と時間に培われた豊かさを内包した
年輪ひとつひとつの温かみは
触れる人のココロを豊かにする。
久しぶりにホンモノを見た気がした。
ガイドしてくれるルタさんに感謝だ。
クレイジーなサプライズ
散髪屋さんに見送られて
東海道を西へと歩き始める。
二人であの家の凄さを話していると
後ろから小走りで走ってきた人が
追い抜くかと思いきや
「うえやまさ〜ん!」
満面の笑みでぼくの名前を呼ぶじゃないか。
誰だ?と思う瞬間に目を疑った。
「松村さん!!!」
え、でもなんでここにいるの???
彼は福井市に住んでいるはずなのに。
「応援にきました!!!」
言葉がでない。ありがとうしか出てこない。
今日の朝4時に福井を出て
車で清水まできたそうだ。
そこで車を駐車して電車で新蒲原駅へ。
ぼくが東海道を歩いているだろうと
確信して駅から走ってきたそうだ。
ほんのちょっと散髪屋さんを
出るのが遅かったら、
松村さんは通り過ぎてしまい、
ぼくらを見つけられなかったかもしれない。
今日は、いろんなことが
微妙なところで
うまく繋がってくれている。
由比の町に入った。
由比の本陣は趣があり、
有料で拝観できるようになっていたが
表で写真を撮っただけで先に進む。
それよりも由比港で
桜エビの丼を食べたい。
桜エビは、清水の由比港漁協と
焼津の大井川漁協のみが
漁業権を持っているそうで、
新鮮な桜エビが食べられる場所は
限られているそうだ。
ルタさんに先導されながら
由比港にある有名な「浜のかきあげや」に着く。
お昼前というのに長蛇の列。
桜エビの釜揚げとしらすの釜揚げが半々に盛られた
数量限定の由比どんぶりは売切れの表示。
ぼくとルタさんはかきあげ丼、
松村さんは漬け丼を注文。
かぎあげ丼は、かきあげが2枚とボリューム満点。
そして桜エビの味が濃厚で美味い!
ここでしか味わえない味を堪能していると
リヤカーに人だかりができている。
「これで大阪まで行くの?」
「泊まるところは?」
「面白いねぇ」
いろんなことを言ってはくれるが、
買ってくれる気配もなければ、
離れる気配もない。
松村さんはどんぶりを食べたら
福井に帰るといっていた。
夕方から用事があるそうだ。
おじさんたちの相手は
適当に切り上げたかったが、
気づいたときには、
松村さんは帰った後だった。
1〜2時間でも一緒に歩ければと
わざわざ福井からやってきてくれた人に、
申し訳ない。
足早に由比駅に向かったが、
ホームに松村さんの姿はすでになかった。
ルタさんとの出会い
由比を出た後は、本来ならさった峠を目指すところ。
東海道を歩かれた方からも
さった峠からの富士山はきれいだと聞いていた。
しかし、調べてみるとかなり勾配がきつい。
箱根の上りと下りで坂道がトラウマになっていたため
パスして、そのまま1号線を西に進む。
軟弱だ。そう軟弱でいい。
ここでへばったら着いた先の清水駅前で何もできなくなる。
と言い訳する。
ルタさんとは会話のペースが合うのか
話していて楽だ。
サバサバしているようで、いつも朗らか。
そして面倒見がいい。
休憩をしたときに、
彼女のリュックから出てきたのはポットだった。
朝、コーヒーを作って持ってきてくれていた。
紅茶やそのほかも飲めるようにと
お湯のポットとティーパックも
用意してもらっている。
昨日、忘年会で遅くまで飲んでいたのに
準備のことなどを思うと頭が下がる。
話しをしていたら清水駅に到着。
リヤカーを止めて場所をチェックする。
警備員さんがいるが
特に注意をされる気配もない。
駅の東西を結ぶ連絡口を出たところに
陣取った。
なかなかいい場所だ。
やはり足を止めてみてくれる人が多い。
その地域の人の特徴があるけれど
動線をうまく捉えられると
みてくれる人が増える。
そして、足を止めてくれた人が
いい具合に溜まると人が人を呼ぶ。
しかも、ルタさんという助っ人がいる。
カミーノの話ができるのだ。
ぼくが他の人と話しをしている間
お客さんをつないでくれている。
これは、とてもありがたいことだ。
たとえ興味を持っても見ていても
相手をしてもらえなければ
その場を離れた経験は自分にもある。
お店も終了時間が近づいたころ
ルタさんの旦那さんが車で迎えに来られて
帰っていった。
ルタさんには、3日間お世話になった。
これだけ長く付き合ってもらえるとは
思ってもいなかった。
というのも、カミーノでルタさんと出会ったのは
ポンフェラダとサンティアゴ・デ・コンポステーラの
たったの2回。
なぜか、どちらとも教会の中だったが
会話をした時間など
2回あわせても5分あるかないか。
日本で考えれば、友達はおろか
知り合いと言うのもはばかられる程度だ。
それなのに3日間も付き合ってもらった。
海外で日本人に出会うと、
出会っただけで友だちのような気分になることがある。
日本にいるときよりも、
日本人を欲している人が多いからだろう。
だから近づきやすく親近感も持てる。
カミーノはそこにプラスして旅の体験を共有できる。
同じ道を歩いたという経験は相当強い。
年代を超えて、国を超えて仲良くなっていく。
カミーノの魅力のひとつはそこにある。
その出会いに意味を問う
お店が終わった後、体を温めるように
カレーを食べた。
ほっとする瞬間だ。
冷えた体が温まっていくのがわかる。
まだ体はしっかり温まっていなかったが、
行くところがある。
急がないと。
清水なら、ここに行って!と教えてもらっていた店だ。
熱いオーナーさんが切り盛りされているそうだが
残念なことに着いた時間が遅くて
すでに閉店していた。
うまく出会えるときもあればそうでないときもある。
流れがあるのだろうと思う。
頭を切り替え野宿をする場所を探す。
グーグルマップを見ていると
良さそうな公園がある。
そちらへと向かっていくと嫌な予感が。
鉄道と道路の立体交差になっている。
下の道を行くが、車止めがそこらじゅうにある。
かいぐぐりながら向こうを目指すが
車止めの乱立に袋小路の状態になってしまった。
そのとき、一人の女の子が声をかけてくれた。
「大丈夫ですか?」
ぼくが線路の向こうに行きたいことを告げると
「ここからじゃ無理です」という。
諦めて、別の公園を探すかと思っていたら、
「ワタシ道案内します」と言ってくれたのだ。
マジですか?
耳を疑った。
50歳のおじさんが夜9時に薄暗いところで
リヤカーを引いてうろうろしている。
その人を道案内するということが
どういうことかわかっているのか?
「ほんとにいいんですか?」
彼女はしっかりと
「はい!大丈夫です!」と応えてくれた。
彼女は高校2年生。
音々と書いて「ねね」ちゃん。
一緒に歩きながら、嫌がりもせず
話しをしてくれる。
ぼくのほうが恐縮してしまうが
本当にステキな子だ。
きっと、家族の愛情を
いっぱい受けているんじゃないか。
そんなことを想像する。
無事に立体交差の反対側に来たとき
最後に聞いてみた。
「なんで、こんな夜におじさんの道案内してくれたの。
二人だし、怖くなかった?」
そう聞くと、彼女は
「おじさん、困ってたし、悪い人には見えなかったから」
そう言ってくれた。
出会うことそのものに意味はない。
だけどそこに何かを見出そうとするのが人間なのだろうか。
あと30秒、ずれていたら彼女に出会うことはなかった。
カレー屋でお水をおかわりしていたら、
お目当のお店が開いていたら、
信号を無視して渡っていなかったら
あの公園を野宿の場所に選んでいなかったら
そして、車止めの乱立するあの袋小路に
入り込まなかったら、彼女には合っていなかった。
そのなかに何かメッセージがありそうで
偶然というにはあまりにもおしい。
あの女の子と会うことはもうないだろう。
しかし、ぼくは何かのメッセージだと思って
思い出とは別の棚に、この出来事を
しまっておくことにした。