サンタントワーヌ 〜 レクトゥール  24km
St-Antoine 〜 Lectoure  24km

5:15に目覚ましがなる。
決して大きな音は鳴らして
いないのだが、
ぼくを含めて5人がすべて
その時間に起き始めた。

昨夜の夕食時。
一昨日同部屋だった
フランス人ジェロムが
ヤマは何時に起きるか知っているかと
まわりにたずねる。
彼は5時に起きるんだ。
そして、荷物をさっと外に出して
身支度して出て行くよ。

それを聞いていた同部屋だった
フランス人家族が、じゃあぼくらも
ヤマが起きる時間に合わせて
起きるよ。
という話しになった。
まさか、と思ったが、
みんなさっと起きるじゃないか。

他の部屋の人たちが
まだ寝ている間に朝食へ。
ぼくが出発する時に
他の部屋の早い人たちが起きてきた。
それが6時ごろだった。

朝日の写真を撮っていると
フランス人家族が大きな声で挨拶しながら
ぼくを追い越していく。

8:30ごろにはジェロムも
大声でヤマ!と
写真と撮っていたぼくに声をかけ
追い越していった。

同じ時間に起きただけだけど
連帯感のようなものが芽生えて
朝から気分がいい。

朝が早いと暑くなる前に、
距離を伸ばせる。
だから午後を少しラクに過ごせる。

今日の目的地レクトゥールに
14時すぎに到着した。
15時までGITEが開かない。
町をブラっとしようと思っていると
ヤマ!と遠くで飛び上がって
手を振る人が。

なんと、とっくに先に行ってしまったと思っていた
スイス人のシルビアだった。
その少し後ろで、手を振る誰かが。
ぼくと同じように寒さで風邪をひいてしまった
スイス人エリアスだった。

エリアスは、1週間ほど前にも
偶然出会ったが、シルビアは2週間ぶりくらいだ。
二人ともスイスの家から歩いてきている。
だから、2ヶ月近く歩いているはずだ。
テイクアウトでパスタを買ったというから
一緒に公園でくつろぐ。

シルビアは、足を痛めたらしく
それでペースを落として歩いているそうだ。
エリアスは風邪もほぼ治ったらしく
たばこを再開し、昨日も今日もキャンプらしい。

小一時間ゆっくりした後、
二人はまだ先を行くというからそこで別れた。

サンチアゴを目指して歩いていると
少しでも早く近づきたいと思う。
だから、立ち止まることは
ぼくにとっては勇気のいること。
道を間違えてしまい、
来た道を戻るとなると、
その時の落胆ぶりは半端じゃない。

病気やケガで前へ進めないことへの苛立ちは
ぼくだけではない。
今日、朝一緒に起きた
フランス人ジェロムの足の皮は
見たことがないほどボロボロだった。

左足のかかとは3〜4センチは皮がめくれ
真っ赤になっている。
足指にも大きな水ぶくれ。
右足の親指の付け根も大きくやぶれ、
親指、小指もぼろぼろだ。

GITEにはいつも夕方遅く転がりこんでくる。
シャワーを浴びればほぼ寝ている。
夜は足が痛くて寝られないそうだ。
それでも彼は歩いている。
普通の人なら、あの足で山道は歩けない。
気持ちが勝っているから
彼は歩みを止められないんだろう。

サンチアゴを目指すという。
彼なら歩き通すだろう。

彼は例外としても、どんな人でも
日常のなかで立ち止まることは
簡単ではない。
さらに、戻るとなるとなおさらだ。
そういう風に人間には
インプットされているのかもしれない。
しかし、ぼくは敢えて
立ち止まること、戻ることにも
向き合ってみるべきなのかと
歩きながら思ったりする。

立ち止まる勇気、戻る勇気。

そこに何か大切なものが
隠されているのかもしれない。
そんなことを考えながら歩いた1日だった。

 

 

<MOVIE>(撮りっぱなし。編集なしです)

サンティアゴ巡礼道 サンタントワーヌの夜明け ル・ピュイの道

サンティアゴ巡礼道 葬儀が始まる前の様子 レクトゥール

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