ビンという街までやってきた。
今日はこれままで最長の115km。
洞窟に入る前から膝が痛かったのだが、
それがどうも自分的には悔しくて
膝の痛みなんかふっとばせとばかりに走ったが
結果的には膝はさらに痛くなった。
当たり前か。

というようなぼくの小言はどうでもよくて
今朝はすごいものを見せてもらった。
宿を朝の5時に出発したが、
20分ほど走っていると、夜が明けきらないうちから
道路の路肩付近を大勢の人が歩いている。

朝からデモか。

近づいていくと、誘導する人たちがいて
車が走行する側を走れ!と指示する。
素直に従って行列を追い抜いていった先に
見えたのは僧侶の姿だった。
両手に手袋をはめ、三歩進んでは
地面に手をつき、膝をついて、額を地面につける。
その動作を繰り返しながら先に進む。

いわゆる五体投地だろうか。
五体投地といえばチベット密教の巡礼方法として有名だが
それとは少し違った。

僧侶は間隔をあけて二人がその動作を行っている。
そしてすぐ後方に彼らが倒れた時のためだろうか
介添人が同行する。

その後ろに信者の方々が両手を合わせながら
その行列に続くのだ。

ぼくはその姿を見た時に鳥肌がたった。
しばらくしてもおさまらない。
胸が高まったままだ。
むしろ、僧侶の姿を見ていると
自分を抑えていたものが何か吹っ飛ぶように
熱いものが込み上げてくる。

手袋が汚れている。
1〜2時間前に始まったというものではなさそうだ。
一体どこから、何時から始めたのだろうか。
そしてどこまで行くのだろう。

行列の人々は一切私語を口にしない。
静かに僧侶の後を手を合わせたまま歩いていく。
沿道の人も私語を謹んでいる。
通りすぎる車もスピードを落とし、
普段ならけたたまく響くクラクションも
行列の付近では控えられた。
二人の僧侶の迫力が周りを圧倒しているようだ。

この迫力は一体何なんだろうか。

ずっと一緒に同行したかった。
しかし、今日は先を急いでいたため、
お付きの方にお布施をして
立ち去ろうとしたが
頑として受け取ってもらえなかった。
喜捨の心だったが、
行の間にするものではなかったのかもしれない。

後ろ髪引かれる想いで
その場を後にしたが、
その後しばらくは放心状態だった。

ぼくは彼らに何を感じたのだろう。
熱いものが込み上げてきたあの感情は何だったのか。

僧侶たちのむき出しの命の姿。
ぼくには到底できない行だからこそ
その圧倒的なパワーが
ぼくのココロに突き刺さったんだと思う。

今ごろ、あの僧侶たちは何をしているのだろうか。
ベトナムで忘れられない1コマとなった。

川の中の水草を集めている人々。子供達も手伝ってました。
大きな教会を見つけて敷地に入っていくと、ミサが終わって住民が出てきた。珍しいのが奴がいると人が集まってきた。
踏切には必ず係りの人がいる。中部あたりからやたらとベトナム軍のこのヘルメットをかぶっている人が増えた。なぜなんだろう?

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