仕事と生活ってなんだろうと考えていて。

仕事はつらいもので、余暇は楽しいものって考えが
当たり前ののようになっている。
生活のために辛い仕事をやって、
発散する時間として余暇がある。

それだと、生活のために
生きているみたいな感じになるよな。
って考えてしまうと、イライラするから
考えないようにする。ってことが
ぼくの若い頃にはあったように思う。

オンとオフ。

という考え方のなかで、
ぼくらは仕事と生活を考えているけれど、
ぼくの育った家庭では、仕事と生活が入り乱れていた。
父も母もよく働く人だった。

父は造船所で働く会社員。
船の設計の仕事をしていた。
根気強くコツコツと仕事をするのが
得意だったのだと思う。

家に戻ってくるのは、だいたい21時前。
寄り道することなく、
ほぼ規則正しくその時間だったんじゃないかな。

母は、家でベビー服の内職。
この母がかなり馬力のある人で、
唸りをあげて怒涛のごとく動き回り
まわりはその勢いに翻弄されていた。

次第に、内職仲間が増え
内職の親方のようになっていったが、
それに比例するように、家のなかは
ベビー服であふれかえった。
玄関開ければ、ベビー服がお出迎え。
そこをかき分けて、家のなかに入っていく。

もちろん、ぼくら3人の子供も
手が空いていれば、できることを手伝った。
糸くずとり、掃除、機械を使っての針の混入検査などなど
いろんなことをやった。

思い返してみると、生活のなかに仕事があって、
仕事のなかに生活があるような
オンとオフという考え方の対極に
あるような暮らしだったと思う。

とても苦労してきた二人だから、
生活するのに必死だっただろうし
3人とも大学まで行かせてもらったのだから
ありがたいという他はない。

ただ、子供だったぼくにとって、
それが辛かったという想いはあまりない。

母は大変だったかもしれないが、
まわりに内職仲間が何人もいたから
内職を通じたコミュニティのなかで、
お互いに助け合いながら、やっていたのだろう。

そのころとは、時代もずいぶん変わった。
母がやっていたような仕事のスタイルは
もうないだろう。

仕事は細分化され、
それにともないつながりは分断されて
個人が孤立を深めていった。
それが、仕事が辛いという原因なのかなと
思ったりもする。

ぼくは会社勤めをやめてもう15年以上になる。
それから、いろんな人に出会ってきたけれど
人生を楽しく生きている人の多くは、
仕事と生活が混在している人が
多いように感じている。

家が仕事場で仕事が自分の好みや趣味にも
つながっている。
仕事かなにしとんかわからんわ〜
というようなノリだ。
そして、まわりに仲間がザワザワといる。

仕事の種類や向き合い方は違うのかもしれないけれど
母がやってきた内職の環境と似ているなぁって思う。

生産性を徹底的に追及してクールに働き
休日はゴージャスなバカンスを満喫する。

そんなメリハリのある暮らしが
かっこいいのかもしれないが、
ぼくはオンオフ混在しているのが理想だ。
というか合っているような気がする。

まずい。
話が長くなってきた〜。

ず〜っと歴史を遡ると
農耕民族は、毎日畑や田んぼのお守りを
しないといけないから
生活と仕事が混在していたんだと思う。

一方で、狩猟民族は、お腹が空けば狩りをする。
獲物が獲れれば無くなるまでは遊んで暮らせる。
オンとオフがはっきりと別れていた。

そんな大きなバックボーンが
ぼくらの体にも脈々と流れていて
働くことのベースにあるのだとすれば、
ぼくらに適した働き方は、いずれにあるのか。

仕事が生活。生活が仕事。

そんな生き方ができるように
今日もがんばろ〜

今日もよい一日を〜

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