折りたたみ自転車と列車でスリランカを巡った45日

<祈り・巡礼者>

旅する写真家としての活動は、50歳のとき、ヨーロッパにあるキリスト教の巡礼道1,700kmを歩いて旅をしたのが始まりだった。特に巡礼に興味があったわけでもキリスト教に興味があったわけでもない。友達が自転車で走った話を聞くなかで、スタートとゴールがはっきりしている旅は、わかりやすくて伝えやすいと思ったことがきっかけだ。奥行きのない単純な発想だった。

歩き始めたときも、巡礼道を歩いているという意識はあまりなかった。ところが、道を歩いていると教会がたくさん出てくる。休憩がてら立ち寄っているうちに、この道について次第に考えるようになった。ゴールとなるサンティアゴ・デ・コンポステーラは、聖ヤコブが葬られている教会。その聖地を目指した巡礼は10世紀には始まっていたという。この道を歩いた人たちは、歴史のなかでどれほどいたのだろうか。今の巡礼と1000年前では、道の様子も身につけている服も装備も、宿、情報、医薬、治安、環境などもまるで違う。どれほどの勇気と覚悟と財が必要だっただろう。巡礼道を歩いてわかったことがある。それは、信じられるものがあると、人は強くなれる。ということだ。自分や家族の幸せを念じて、聖地巡礼ができれば、きっと救われる。そう信じて過酷な道を歩き続けた人々の祈りの道なのだ。サンティアゴ巡礼は、ぼくにとって、巡礼とは何か、祈るとは何かという問いの始まりでもあり、結果的に旅のベースを作る旅にもなった。

そして今年のスリランカ。選ぶきっかけとなったのは、スリランカにも巡礼があると聞いたから。ただ、それはきっかけであって、宗教を詳しく勉強したいという踏み込んだものではなかった。スリランカは小さな島、そのなかにある世界遺産や観光地は仏教がらみのものが多く、この国をくまなく回れば、仏教やスリランカのアウトラインがわかるのではないかと考えていた。旅人の視点でつくったガイドブック、そんなものをつくってみたら面白いんじゃないか。作るとしたら、どんな旅をすればいいのか、そんな計画を立て始めていたとき、4月21日にスリランカで同時多発自爆テロが起きた。250人以上の人が亡くなられた。スリランカのイスラム過激派組織による犯行で、狙われたのはキリスト教会と高級ホテル。スリランカでは少数派のイスラム教徒がさらに少数派のキリスト教徒を狙った事件だった。敬虔な仏教徒が数多くいる仏教国という印象が強かったが、どうやらそんな簡単なものではなさそうだ。スリランカにある、仏教、ヒンズー教、イスラム教、キリスト教は、一体どのようなもので、どのような立ち位置なのか、それを知ることのほうが、場所をくまなく回るよりも、この国のことを知ることになるのではないか。自転車で走りながら、寺院やモスク、教会を巡ってみよう。そんな想いで、今回の旅のテーマを<祈り>にした。

<仏教>
スリランカは仏教国といわれるだけあって、仏教遺跡も仏教徒も多かった。同じ仏教でありながら、日本は大乗仏教、スリランカは戒律が厳しいといわれる上座部仏教。巡礼者の多くは、白い服を着て参拝する。週末の夜は、近くのお寺にでかけて境内で多くの人が一同にお経を唱えている姿をよく見かけた。アヌラーダプラやカタラガマなど、仏教の聖地のなかでも特に人気のある場所は巡礼者が多い。彼らは、バスや車をチャーターし、親戚縁者と旅行をするかのように、何日もかけて巡礼地に赴く。食材を持参しキャンプをするように炊き出しをしている団体もある。これも巡礼の旅だ。ダーガバ(仏舎利塔)では、お経を唱える人、瞑想する人、僧侶の説法を聞く人など、さまざまな形でそれぞれが祈っている。その姿が本当に美しい。老若男女の区別はない。そう思えるのは、祈ることによって目に見えないものが浮き出て見えるからかもしれない。

一方で、気になることもあった。庶民のなかでスマホを持っている人は、まだ多くないなかで、お寺の僧侶のほとんどがスマホを持っていた。ある僧侶は、Facebookをしていて、友達になろうといってくれた。しかし、こちらから友達申請をしようとしてもできない。彼のFacebookでの友達の人数が、上限の5,000人に達していたからだ。どうやってそれほど多くの人と彼は出会ったのだろう。日々のお勤めをきちんとやっているのだろうか、220以上あるといわれる戒律を守って日々暮らしているのだろうか。そんな疑問が浮かんでくる。それは、この僧侶だけでなく、出会った仏教僧の多くに感じたことだ。ある人から聞いた話では、僧侶をやめて還俗する人が増えているという。なぜか。インターネットが影響しているそうだ。他の世界を簡単に見られるようになったことで、他への好奇心が芽生えてしまうことはある話だ。もちろん、真摯に修行をしている僧侶もいるに違いないが、そういう人は旅人と出会うような場にはいない。旅をしながら出会った僧侶には、在家信者の真摯な姿とは裏腹に物足りなさを感じたというのが率直な印象だった。

スリランカ仏教の象徴ともいえるダーガバ(仏舎利塔)
僧侶の説法を聞きながら祈る信者たち
仏教の象徴的なハスの花を手に巡礼をする僧侶
ハスの花は境内や周辺の屋台で売られている
在家信者は僧侶への畏敬の念をこめて足元で額ずく
白装束に黒褐色の肌の男性が樹の下で佇んでいた。瞑想中ではなかったと思うが、できすぎなくらい様になっていた

<ヒンズー教>
スリランカのヒンズー教徒は全体の13%といわれる。多数派の仏教徒であるシンハラ人とヒンズー教徒のタミル人の間では、歴史的に争いは絶えなかったようだ。2009年に終結した内戦も、タミル人が分離独立を目指したものだった。結果的には、タミル人武装組織のLTTEが殲滅されて内戦は終わったが、家族や友人、仲間を殺された人々が、憎しみを持っていないわけはなく、水面下でくすぶり続けるものはあるのではないかと思う。

こうした民族的な文脈を絡めてしまうと話しが難しくなるので、ここではヒンズー教の印象や旅での出来事を紹介したい。

ヒンズー教のお寺にもよくお参りをしたが、建物がとにかくド派手だった。入口の上には楼門がそびえたち、院内は原色をふんだんに使いパラダイスのような造りになっている。ただ、そこで祈る姿は神聖そのもの。儀式の時には、木管楽器と太鼓が大音量で館内に鳴り響く。トランス状態へと誘っているかのようだ。祈りのポーズがいつくもある。頭の上で合掌したり、腕を交差して耳たぶをつかんだり、うつ伏せに全身でひれ伏す人もいる。さまざまなポーズをとりながら祈る姿は見ていて飽きない。ヒンズー教は、他の宗教に比べて体を使った修行が多いというのも、見て回ってわかったことだ。一番驚いたのは、男性が上半身裸で足腰を布で縛り、横に転がりながら広い境内を一周するという荒行。サンスクリット語でピナッチェラ・ナマスカーラというそうだ。五体投地をしながら境内や本殿内を巡る女性の姿もあった。

今回の旅でヒンズー教のことを詳しく教えてくれた人がいる。コロンボでたまたま入った寺院で出会ったクリシュナという僧侶だ。祈りをテーマにスリランカのお寺を巡りながら旅をしていることを伝えると、趣旨を理解してくれたようで、撮影にもすすんで協力をしてくれた。彼はFacebookもLINEもしているので、旅の間、ヒンズー教のことでわからないことがあれば、彼にメッセージを送って質問をしていた。彼によると、ヒンズー教は、ただ祈るだけでなく、生活にも深く根ざした宗教であるという。健康な心と体を維持することが大切で、そのためには、呼吸を整え、食べ物に十分に配慮し、体のバランスを整えることを日々実践する。特に食べ物については厳格な教えがあり、野菜のなかにも食べてはいけないものがあるそうだ。健康志向が根付いた宗教といえるのかもしれない。馴染みのあるところでは、ヨガもヒンズー教の修行のひとつだそうだ。そう聞くとイメージしやすいかもしれない。

ヒンズー教の楼門は特徴的
天井の装飾はカオスに見えるがすべて意味があってのことなのだろう
ヒンズー教はセレモニーが多いようだ
お寺の近くで犬とじゃれていた少年。おでこに白い塗料を塗っているのはヒンズー教徒
木管楽器と太鼓が堂内に反響し独特の空間になっていく
いくつもの神々を祀っているので、僧侶たちは次々と移動しながら儀式を行う
 ヒンズー教は火を多用する。真言宗の護摩行にも通じるものがあるのだろうか
儀式の後、僧侶が火を持って信者の間を回る

<イスラム教>
4月のテロはイスラム教過激派の犯行だった。そのため、イスラム教徒への風当たりはきついように感じた。検問でもイスラム教徒は特に厳しくチェックされる。大規模テロがあった以上、仕方がないかもしれない。ただ、話しを聞いたイスラム教徒は、口を揃えて「彼らは断じてイスラム教徒ではない」と言っていた。イスラム教は本来平和的で寛大な宗教だそうだ。テロで人を無差別に殺すなどあり得ないということだった。テロの首謀者が生まれ育った町であり、過激派のアジトがみつかったカッタンクディという町に行き、モスクを回ってみたが、ギスギスした様子もなく、外国人で仏教徒でもある自分にも彼らは寛大だった。見よう見まねで一緒になって祈りを捧げると、仲間に引き入れてくれた。パンやコーヒーを出してくれたり、カフェに連れて行ってもらい、ごちそうしてくれる人までいた。旅人は神の使者という教えもあるそうだ。今回出会ったイスラム教徒で、嫌な思いをさせられたことは一度もなかった。イスラム教を平和的な宗教だと信じている彼らにとって、今回のテロは到底許されないものであり、彼らもまた被害者かもしれない。

一方、イスラム教徒以外の人は、イスラム教徒をどう思っているのか聞いてみた。いろんなネガティブな声もあるが、一番興味深かったのが、イスラム教徒の家庭は、子沢山であることだ。多産はコーランでも推奨されているため、イスラム教徒はたくさん子どもをつくる。1家族に子どもが5~7人いるそうだ。家庭の経済事情を考えずに増やしてしまうため、生活保護を受けている家庭も多い。その費用は税金で賄われているため、他教徒としては面白くないそうだ。一部では、イスラム教徒に、スリランカをのっとられるのではないかと不安の声も上がっているらしい。これは、スリランカだけの話しにとどまらず、世界的な傾向にある。2015年の段階で、世界で一番信者が多いのがキリスト教徒で31%、次いでイスラム教徒24%、ヒンズー教徒15%だった。これが2070年に、キリスト教徒とイスラム教徒の割合が同じになり、以後イスラム教が最大になるという試算が出ている。世界の宗教地図を書き換えていくことにもなり、人口爆発をさらに加速していくことにもなりかねない。スリランカという小さな島国のことが、今後、世界に波及する可能性もなくはない。技術革新の大きなうねりがおこるなか、宗教にも大転換の可能性があるかもしれない。

イスラム教のモスク。塔のように突き出たミナレットがモスクの特徴
コーランを勉強する学生
イスラム学校の生徒さん
1日5回のお祈りの時間は、太陽の動きに合わせて毎日変動する
世界中のイスラム教徒が同じ時刻に聖地メッカの方角に向いて祈りを捧げる
イスラム教の男性がかぶる帽子。かっこいいおじさんだ

<キリスト教>
4月のテロで教会が爆破されたコロンボやニゴンボでは、教会に入ることが簡単ではなかった。爆破されたコロンボの聖アンソニー教会には厳しいチェックの上、入ることができたが、コロンボの他の教会では入口でことごとく断られてしまった。コロンボの北にあるニゴンボでは、ある教会にセキュリティチェックを受けた上で入らせてもらった。遠慮がちに写真を撮り始めたが、怪しまれたのか、教会にいた信者の方が外で警備をしていた海軍の軍人を連れて戻って来た。カバンの中身やカメラのデータをチェックされた後、追い出されてしまった。ナーバスになっている人々の心を逆なでしてしまったのだろう。申し訳なかった。それ以来、キリスト教会は避けるようにした。

スリランカでは、キリスト教徒は人口の7%と一番少ない。しかし、富裕層の割合が多く、政府の要職についたり、優良企業で働く人も多いそうだ。それは、キリスト教系の学校は教育カリキュラムがしっかりしているからだと教えてくれた人がいた。なかには英語で授業をする学校もあり、そのまま英語圏の国に留学をする学生もいるという。スリランカの学校は多くが公立で授業料は大学まで無料。しかし、大学は国内に15校しかなく大学進学率はわずかに15%程度と超難関。そのため、大学を卒業した学生はエリートとして社会で働くようになる。宗教間での教育カリキュラムの差が、子供たちの将来にまで影響を及ぼしてしまう。宗教感の薄い日本にいては、なかなか想像しづらいことが、スリランカには現実としてあるのだ。

キリスト教徒が多いニゴンボの教会
自爆テロで爆破されたコロンボの聖アンソニー教会。3ヶ月足らずでほぼ修復されていた
コロンボやニゴンボでは厳戒態勢だったが、地方の神父さんは気さくだった
スリランカでは、町のなかに教会やお寺が混在している