折りたたみ自転車と列車でスリランカを巡った45日
<市場>
庶民の台所。その言葉がぴったりくるのが町の市場。どの国でも市場には行くようにしている。観光客が訪れる市場には観光客用の対応があるけれど、観光客が来ない市場に行くと、庶民の素顔が溢れている。それを見るのがたまらない。同じ国でも、そこらじゅうから掛け声が聞こえてくる活気のある市場もあれば、淡々と商いがされる市場もある。がんばって商品を売っている人もいれば、静かにポツンと座っている人もいる。同じ野菜を売っているお店で、どちらがよく買われるのか、観察してみたいと思うこともある。
スリランカの市場は、幹線道路沿いにあるところも多く見つけやすかった。市場の活気が道路にまで流れ出てきているようで、誘われるように自転車を止めてしまう。自転車のフロントに積んだカメラバックを背負い、リアの荷物はそのままに、鍵はしっかりとして市場へ入っていく。こちらも興味津々で入っていくが、観光客が来ない市場では、向こうも興味津々でこちらを見ている。その均衡を破るかのように、ニコッと笑顔を向けると、間にあった壁がさっと消える。そのやりとりを、周りは驚くほどしっかりチェックしていて、楽しそうだと向こうから声がかかる。市場のなかには、初めてスリランカを訪れた人にはわからないネットワークが張り巡らされていて、変な外国人がカメラを持ってやって来たぞ!と瞬く間に広がっていく。隣には無関心なことが多い日本ではあり得ない熱量の高い好奇心にスイッチが入る。特にイスラム系の人たちが多い町は、その好奇心が強く、一度火がつくとどんどん延焼していく傾向がある。ある町では、その火を煽る人が出てきて、まわりを焚き付けていくものだから、収集がつかなくなりそうになり、逃げるように退散したこともあった。
地域や町の大きさにもよるが、野菜やフルーツ、肉、魚はどの市場にもある。肉はざっくり解体した部位を買ってきて、それを店前でさらに細かく刻みながら販売する。魚はそのまま売っているところもあれば、さばいている店もある。さばいているといっても、3枚に下ろすなど繊細なものではない。鱗をとり、包丁を勢いよくふり下ろし、ぶつ切りにして完成。野菜とフルーツはどこでも豊富にあった。米の種類が豊富だったことは驚きだった。コシヒカリとササニシキという、素人が見てもわからないレベルの違いではなく、粒が小さいものや、細長いもの、日本の米に近い形のもの、色が濃いものなど、さまざま。お国柄、スパイス系が充実している所もあった。市場にはさまざまな食材が並んでいたが、食べた料理はそれに比例せずに、庶民レベルの予算では、どこでも似たり寄ったりのものを食べていた。
市場の活気はエネルギー増幅装置として使わせてもらうこともある。疲れたときにいくと、さらに疲れてしまうことがあるが、そこそこ元気だと、その場の活気によって、自分のエネルギーが増幅され、こちらのテンションもあがり、さらに元気になる。人間くさい人間が集まって活気や情熱を発電をしている。市場はその町のパワープラントでもあるのかもしれない。