折りたたみ自転車と列車でスリランカを巡った45日

<アヌラーダプラ>

旅の出発点となるコロンボをスタートし、最初に向かった先はニゴンボ近くのダコントゥワ。そこで一泊してから一気にアヌラーダプラまで170kmを移動してきた。

2500年以上の歴史を持つこの街は、スリランカで最初に都が置かれた場所であり、この国で仏教が始まった場所でもある。遺跡地区には世界的にも価値ある仏教遺跡が点在する。スリランカで必ず訪れたかった街のひとつだ。

早朝ゲストハウスを出発し遺跡地区を目指す。沿道にはハスの花を売る屋台が店を開き、巡礼者たちはダーガバ(仏舎利塔:ブッダの骨が収められた塔)にお供えするためにその花を購入していく。さらに奥へと入っていくと、大きな池が見えてくる。決してきれいとは言えない濁った水で沐浴し身を清めてから参拝する人たちの姿がある。池を背にするとルワンウェリサーヤ大塔の先端がチラッと見える。太陽が東の空に顔を出したばかりなのに、すでに空き地にはバスがずらーっと並び、あたりは白装束の巡礼者に埋め尽くされている。人々が歩いていく方向へ進んでいくと、靴を預けるところがあった。そこから先は神聖な場所。裸足でなければ入っていけない。現地の人たちは、裸足に慣れているせいか、何のためらいもなく歩いている。しかし、慣れない自分は、足元の小さな石にまで注意を払いながら、そろりそろりと体重をかけないよう忍び足で歩く。小石を見逃してしまい、踏んでしまったときには「痛っー」と思わず声を上げることになる。

参拝前に沐浴する女性

人の流れはルワンウェリサーヤ大塔へ向かう。入る手前には、セキュリティチェックがある。テロの影響か、カバンの中身をチェックされた後、ボディタッチで身体チェックとかなり厳格だ。その関門を抜け、階段を登ると高さ55mのルワンウェリサーヤが出迎えてくれる。その大きさに圧倒される。塗り直された後なのか、表面は磨いたように真っ白だ。南国の青空には、よく映える。参拝者はそのダーガバに沿って反時計回りに歩く。歩く巡礼者の外側には、石の床に座り込みお経を唱える人々、僧侶を取り囲みながら説法を聞き、祈りを捧げる信者の姿、仏教に帰依することを体現するように額づく信者たち。それぞれが思い思いに祈りを捧げるその姿が自然で、仏教が生活に根付いていることが彼らの所作からよくわかる。

写真を撮りながら祈る様子を見せてもらっていると、どこからかチャルメラのようなラッパと太鼓の音色が聞こえてきた。音がする方向へ歩いていくと、幅2mほどのオレンジ色の布がまるで川のように先の先まで続いている。たくさんの信者の手によって外から神輿のように運ばれてきたのだ。その長さは100mではきかないだろう。一行は仏舎利塔のまわりを一周。ある場所から、僧侶や関係者によって、その布を仏舎利塔の上に引っ張り上げられる。それをダーガバに巻きつけていく。これは一体何?と近くにいた人に聞くと、オレンジ色の布はブッダの袈裟を意味するそうだ。それをダーガバに巻きつけることは、ブッダに袈裟を着せることになるのだろうか。言葉のこともあり、詳しくは聞けなかったが、1日のうちで、このセレモニーが何度か行われ、オレンジ色の布の代わりに、仏教旗がデザインされた布が運ばれてくることもあった。

アヌラーダプラで最も人気のあるルワンウェリサーヤ大塔。オレンジ色の布はブッダの袈裟を意味するそうだ
ルワンウェリサーヤ大塔は象の彫像にぐるりと守られている
ハスの花などを大切に持って参拝に向かう人たち

何百メートルとある一枚のオレンジ布を運び歩く信者たち。仏舎利塔に巻かれる
仏教旗の布を持ち仏舎利塔の周囲を歩く信者たち
信者は僧侶の足元に額ずき祈りを捧げる

巡礼者の様子や儀式を見ながら、ずっとここにいてもいいかな、そんな気持ちにもなるが、物理的に難しい時間がやってくる。太陽が高度を上げていくに従って、日差しは強くなり気温も上昇。仏舎利塔のまわりに敷き詰められた石の床が次第に焼け始める。見た目はおじさんでも、ぼくの足裏などスリランカ人と比べると乳幼児のようなもの。焼けた石が耐えられなくなる時間は、そう遅くはない。10時ごろには、石の床はかなり熱くなっている。人が多いところは、人の足が熱を冷ますのか、人の影が温度上昇を穏やかにするのかわからないが、我慢できることもあった。しかし、参拝者が少ない他のダーガバのまわりは、遮るものもなく、ぐんぐんとフロアの石の温度は上昇する。足の裏から「ジューッ」っと音が聞こえ、煙が立ち上るのではないかと思えるくらいチンチンに熱くなっている。そんなときは、「アチチチチィー」と踊り狂うように出口の階段まで飛び跳ねながら走ることになる。一方スリランカ人は、大人はもとより、小さな子供もケロッとした顔で歩いている。彼らの足裏はいったいどのようになっているんだろう。そのことが気になって仕方がなかった。

敷地内は裸足で歩く。平然と歩く現地の人たちの足はたくましかった
地面に額ずき祈る人たち
額ずき祈る姿はイスラム教徒と変わらない
参拝を終えた人たちが大樹の下で休憩をとっていた

幸いというか、靴下は履いてもいいことになっている。欧米人は平気で履いたまま参拝している人もいるが、ぼくは信仰心が薄くとも仏教徒の端くれだ。その気持ちが靴下を履くことを許さない。そうなると、参拝は裸足でも歩ける朝夕になってくる。日本のお寺と違い夕方で閉まることもない。夕方になっても参拝者はどんどんやってくる。

太陽が傾き燃え尽きるように空の色がオレンジ色に染まり始めるころ、じんわり暖かいフロアに腰をおろす。夕暮れの空をゆっくりと眺める。贅沢な時間の始まりだ。薄暮の時間をすぎると視界が少しずつ狭まるが、逆に心の扉が次第に開いていくようだ。そこから流れ出す想いが時空を超えてめぐり始める。2500年前ブッダがこの地を訪れたこと、連綿と続いてきた仏教の歴史、そして今、自分がここにいる。悠久の時間のなかで、ぼくの命の時間など点のようなものだ。しかも、明滅する命の灯火も、連鎖する生命体のなかではほんの一瞬の瞬きにも満たないほどのもの。だからこそ、少しでも光りたい。熱をもつ生命体として、小さくてもまわりを一瞬ポッと明るくする光になりたいのだ。

ライトアップされた仏舎利塔の先端は、生命の渦のありかを天に示すように、高く高く伸びていた。

ルワンウェリサーヤ大塔の先端が夜空に浮かび上がっていた