川原代表の著書「行くぞ!ロシナンテス」を読んで、心が震えました。
安定した職を捨て、医者としての使命を貫いた姿は感動的でした。いつか、この人のために自分ができることをしてみたい。コロナのパンデミックが終息すれば、自分の写真家としての旅をロシナンテス活動記録の旅にして、広報のお手伝いができるかもしれない。その内容を企画書にまとめて、勝手に送ったところから、始まりました。
川原尚行代表プロフィール
九州大学大学院医学系研究科修了後、外務省へ入省。医務官として赴任したスーダンで、目の前で苦しむ現地の人々を助けたい想いから外務省を辞職し単身で医療活動を開始。
2006年高校時代のラグビー仲間を中心に特定非営利活動法人ロシナンテスを設立。
2019年からはザンビアでも活動を開始し、両国で活動をしていたが、現在スーダンは内戦状態のため、2023年4月に国外避難。
ザンビアでの活動は引き続き継続しているが、状況が落ち着けばスーダンに戻り、活動を再開する予定。
面積:日本の約2倍
周囲:8カ国に囲まれた国
標高:平均 約1,100m
人口:約2,000万人(73部族)
言語:英語・部族語
旧宗主国:英国
独立:1964年10月24日
東京五輪閉会式の日
首都:ルサカ
産業:銅、コバルト、農業
時差:日本より7時間おくれ
スーダン人の医師から、高精度なものより、初期診断ができて、安価で導入が簡単な超音波エコーがあれば、と相談受けた川原代表。日本国内のネットワークを駆使して、沖縄の医療機器メーカーにお願いし実現に至ったそうです。
患部に当てるプローブ(センサー)をUSBに接続し、インストールしたアプリを立ち上げれば、通常のノートパソコンで使用が可能。
受診する妊婦が増えたほか、パートナー同伴で診察にくるカップルも増加していることは、胎児のチェック以外にも、親となる2人の意識にも良い影響が期待できそう。
マザーシェルター滞在時には、日本の医学生や国連職員も見学に来られ、現地看護師の指導を受けながら医学生もオペレーションを体験。日本とザンビアの医療従事者が教え合う場としての活用も期待できるのではとの感想を持ちました。
80歳を超えても世界の保健医療の分野で精力的に活動を続ける喜多先生。川原代表と理事の高山先生からの熱いラブコールで、ジュネーブでの国際会議の後、直接ザンビアに来られました。ロシナンテスが活動するムワプラの診療所やマザーシェルターを2日にわたって視察。現地の医療従事者や人々に直接ヒアリングを行い、カルテや記録簿、薬の保管状況までくまなくチェックされる様子は、長年にわたって国際保健医療の現場で活動されてきた視点が感じられるものでした。
ザンビアに入る前には、聞かされていなかったことであり、自分にとっても貴重なセレンディピティでした。
ザンビアで活動する日本のNGOはロシナンテス以外にもあります。そのうちの一つ「ザンビアの辺地医療を支援する会(ORMZ)」の活動にも、1日だけ同行取材ができました。
雨季になると、水で道路が寸断され引き返すこともしばしば。車がスタックして抜け出せなることも少なくないため、必ず車2台で移動するそうです。
朝6時に出発し、昼前に現地に到着。昼食をとることもなく、すぐに診察の準備を開始。准医師2名が、夕方までに100名以上を診察。乳児健診やワクチン接種も同時に行われていました。
夕方、現地の人が作ってくれた食事をかき込んで帰路へ。沼地や大きな水溜まりなどを慎重に進み、ルサカについたのは午後10時を過ぎていました。
旅する写真家として、一年に一度、海外に旅に出ることを50歳からしてきました。しかし、コロナの影響で、2019年以降海外に行けなくなった時、自分の旅を見直しました。一つの国をじっくり自転車や徒歩で巡る旅もいいが、海外で活躍する誰かのために、自分のスキルを活かすことができないか。旅として、それができれば、さらに面白くなるのではないかと考えました。
川原代表の著書「行くぞ!ロシナンテス」を読んで、心が震えました。安定した職を捨て、医者としての使命を貫いた姿は感動的でした。いつか、この人のために自分ができることをしてみたい。コロナのパンデミックが終息すれば、自分の写真家としての旅をロシナンテス活動記録の旅にして、広報のお手伝いができるかもしれない。その内容を企画書にまとめて、勝手に送ったところから、始まりました。
川原さんが長年活動されてきたスーダンが希望でした。しかし、スーダンはジャーナリストビザを取るのが難しい、入国できてもさまざまな制限があるなど、スーダンでの受け入れは難しいとのことでした。一方ザンビアなら情勢も安定しているので、ウエルカムだと回答をいただき、渡航が決定しました。
旅の資金は自己負担です。若い頃にアフリカに行ったことがありましたが、その時はワクチンなど目もくれませんでした。しかし、50代になるとそのあたりも心配です。ワクチンをバンバン打っていると、びっくりするくらい費用がかさみ、先生に思わず「ジェネリックはありませんか?」と聞いてしまいました。
いろんな意味でアフリカは遠い国。
写真展では、2024カレンダーを販売予定。かかった費用の一部でも回収できるようにして、この活動をライフワークとして持続可能なものにしていきたいと考えています。
これまで、コピーライター、ロケーションコーディネーターと、自分が好きなことを仕事にしてきました。いずれも充実した時間でしたが、40半ばの時にふと、今の仕事は好きだけど、人生にあと1回しかチャンスがないとしたら、何がしたいか。答えは、大学時代から始まった旅をして写真を撮ること。家族も周りも大反対でしたが、決意は固まっていきました。
覚悟を決めるため、最初の旅は自分のお金でなく、皆さんから応援してもらって旅に出ると決め、1冊2,000円のカレンダーを500部制作。
しかし、安くないカレンダーを買ってくれる友だちが500人もいないことに程なく気づき、意を決して路上販売することに。その様子をSNSにアップしていると、買いに来てくれる人、販売を手伝ってくれる人が増え、涙の完売。
売上金は、ATMでなく腹巻きに入れて、旅に出ました。
1967年
京都府舞鶴市生まれ
1990年
バックパッカーとして、一眼カメラを手に、シルクロードに一人旅に出る。
汽車、バス、トラックなど陸路で中国〜パキスタン〜イラン〜トルコ(イスタンブール)まで2ヶ月かけて旅をした。
これがきっかけで、旅と旅先での写真にはまる。
1991年
香川大学経済学部卒業
1991年
(株)大伸社マーケティング部にコピーライターとして入社。
昼夜、曜日関係なく働き、有給休暇を使って旅をした。
2001年
コピーライターとして独立するため退職するも、声かけられ、ロケーションサービス キーゾーンL.D.B.の設立に参加。
カメラマンからの依頼によるロケ場所探しや撮影現場でのカメラワークのサポートが面白く、天職かもと仕事に没頭。
2015年
数十人のプロカメラマンをサポートするなかで、カメラに必要なスキルがあがってきたこと、子どもや家族の撮影を依頼されることが増えてきたことが引きがねとなり、学生時代からの夢であった旅する写真家を目指してキーゾーンL.D.B.を退く。
2017年
旅する写真家&フリーランスのカメラマンとして活動を開始。
50歳の冒険のスタートとして、ヨーロッパのサンチアゴ巡礼路1,700kmを徒歩で旅を敢行
帰国後、カレンダーを制作。東京日本橋〜大阪駅を、リヤカーにカレンダーを積んで1ヶ月間、行商の旅をする
2018年
ベトナム縦断ママチャリ2,000kmの旅
2019年
スリランカ折り畳み自転車2,400kmの旅
2020年
写真展「祈り」を開催
新型コロナウイルスの影響で、写真撮影の仕事が激減。
経済的な立て直しと旅の仕方を再考
2023年
ザンビアで活動するロシナンテス行取材の旅
写真展「医とこころと人」開催