サハラ砂漠のキャンプから、今戻ってきた。
それは、僕にとって本当にかけがえのない
体験となった。

キャンプといっても
そこは食堂やテントサイトが整えられた
いわゆるグランピングのような場所。
宿泊客は僕一人。
近くの町ドゥーズから通ってくる男性と
そこに常駐している2人のスタッフ。
僕は彼ら3人と、濃密な時間を
共にすることになった。

スタッフたちは皆
自分の仕事を誇りに思っているようだった。
一番よく働く人は
先月は一日にしか家に帰っていないという。

彼は「ここの静寂が好きなんだ」と静かに笑った。
その気持ちが、僕にも分かるような気がした。

朝早くから家畜の世話をし
オリーブの木々にラクダの堆肥を撒き
手際よく造作物を作り上げていく。
そして、僕のために「サハラ・ブレッド」を
焼いてくれた。

砂を浅く掘り、焚き火をして種火を作る。
発酵させた生地をその熱い灰の中に埋め
さらに砂を被せる。
それが天然のオーブンになるのだ。

焼き上がったパンの砂を払って口に運ぶ。
その旨さは、言葉にならなかった。

使い終わった種火は
灰になればまた砂を被せて消し
何事もなかったかのように大地に戻る。
自然に負荷をかけないベドウィンたちの知恵。
その営みは、見ていて惚れ惚れするほど
潔く、美しかった。

昨日の午後3時、キャンプに到着したときは
厚い雲が垂れ込めていた。
決して安くない費用を払ったが
サハラの夕日は見られないかもしれない。
けれど僕は「インシャアッラー(神の望むままに)」
という気持ちでいた。

一人のスタッフとラクダと共に砂丘へ向かうと
空は真っ赤に染まりこそしなかったが、
雲の隙間から柔らかな光が顔を出してくれた。

夜、テントに入り、静寂の中に身を置くと
心がゆっくりと満たされていくのを感じた。

しかし、その静寂の中で僕が考えていたのは
これからの遠い展望でも
人生のことでもなかった。

今いるこのチュニジアから
どうやって日本に無事に帰るかという、
極めて現実的で、不本意な悩みだった。

砂漠の真ん中であっても
現代の電波は容赦なく世界と僕を繋いでしまう。

もしインターネットがなければ
僕はただこの静寂に身を浸していられただろう。
けれど、手元の画面は中東情勢の緊迫を伝えていた。
アメリカやイスラエルの動向、
イランの報復の可能性…。

帰路に予定していたカタール航空で
3/18に中東を経由して帰るのは
あまりに不確定要素が多すぎる。
そう判断せざるを得なかった。
日本で待ってくれている仕事があり
僕を信じて送り出してくれた人たちがいる。
自分のわがままで滞在を延ばすわけにはいかない。

僕は、中東を経由しない別のルートを探し始めた。
欧州経由の片道チケットを調べると
出てくる数字は80万円から220万円。
混乱の中で高騰する運賃に、感覚が麻痺していく。

結局、僕はトルコ航空の公式サイトで直接
片道チケットを予約した。
元々の往復航空券の倍近い金額だったが
この状況下ではそれさえも「リーズナブル」に
見えてくるのが不思議だった。

一晩中、テントの中で情報と格闘し
ようやくeチケットの発券を済ませた。

テントの外へ出ると
東の地平線から太陽がちょうど
顔を出したところだった。
昨晩の不安を包み込むように
砂漠に新しい光が溢れていく。

夜明けだ。

サハラ砂漠のただ中で
一晩中帰国方法に格闘していた自分を振り返り
「僕は一体、何をやっているんだろう」と、
おかしくなった。

けれど、朝の空気はどこまでも清々しく
僕の胸の奥に深く吸い込まれていった。

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