テラルネッサンスの支援を受けている人の

お宅訪問をさせてもらった。

この地域のなかでも最脆弱層の人たちの暮らしは

どのようなものか。

数日の滞在で体調を崩してしまうような軟弱な自分と

その中環境でたくましく生きている人たち。

この地域に住むジエ族というマサイ族に関連がある

人たちが住む場所だ。

外敵や風から守る木の枝を組んで作られたフェンスの

穴から中に入ると

土と木だけで作られたハットいう住居が点在し

一つの集落を形成している。

電気、ガス、水など、そのようなインフラが

あるはずもなく、きっと古から続く

住居スタイルのだろう。

最初は警戒をしていた子どもたちも

次第に打ち解けてきて、

いい表情を見せてくれるようになった。

子どもたちの半分くらいは、

体にチェック柄の布を巻いている。

そのうち男の子は、布の下には

何も身につけていない。

細い体におなかだけポコンと出ていくる子も

何人かいる。

栄養失調とおなかのなかに

回虫や宿しているためだそうだ。

目の周りが目やにだらけで

目が十分に開かない子。

まだ2歳にくらいだろうに、

年配者のような手をした子もいる。

そんな子どもたちだけど元気だ。

なんでも遊びに変えてしまう天才かのように

目の前のことを楽しんでいる。

村から遠く離れた水場まで

ポリタンクを持って往復する子どもたち。

10代半ばにもなれば

20リッターのポリタンクを

頭に乗せて何キロもの道のりを運ぶ。

 

その道中にぼくがいると

それを笑いのネタにして

ワイワイ言いながら運んでいく。

それは、3歳くらいの子どもでもそう。

体の大きさに応じてポリタンクの大きさも違っていて

自分が運べるだけのものを運ぶことを

小さい頃から習慣化しているのだろう。

泣き言をいっている子どもは一人もいない。

この集落の男性にもお話を聞くことができた。

「テラルネッサンスの農場で野菜を育てるようになってから

食料や収入も十分ではないが得ることができるようになった。」

「これから、もっと収量を増やしたいし、

農場で教わった野菜の栽培方法を家族や近隣住民にも

教えていきたい」という話だ。

 

最後に「もし農業が成功し、収入が増えたとしたら

ここを出て町に出たいと思いますか?」と聞いてみた。

すると「収入が増えたとしても

生まれ育ったこの場所で暮らしていきたい」と彼は言った。

 

お金があるなら、快適性や利便性を優先して

町に住みたくなるものとばかり思っていたが、

そうではなかった。

 

ぼくは、西側諸国の価値観が染み付いている。

そこでは、お金と暮らしは比例するように

上下するものと考えている。

 

しかし、それがイコールで結ばれない

価値観をもつ人たちがいる。

 

彼らの暮らしは厳しい。

それはどんな価値観のもとで見たとしても

それは紛れもない事実だ。

 

一方で、ぼくらの価値観がすべてではないことを

静かに教えてくれているような気がしてうれしかった。

 

1つの価値観で物事を見ていては

いろんなものごとは理解できないし

自分たちの幸せに結びついていかない。

 

そんなことを教えてもらったような訪問だった。

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