折りたたみ自転車と列車でスリランカを巡った45日

<ソロスマスターナヤ>

ブッダは生前、スリランカに3度来島したといわれている。その際に訪れたとされる場所16ケ所をソロスマスターナヤという。
1回目は悟りを開いて9ヶ月の頃にマヒヤンガナを、2回目はそれから4年後にナーガ・ディーパを訪れたとされる。それから3年後に訪れ、このときは14ケ所をまわったとされる。この旅で、特に意識的に回ったわけではないが、見返してみると合計12ケ所まわっていた。ブッダが見た風景とは大きく変わっているだろうが、その地に本物のブッダがいたんだと思うだけで、想像は膨らむ。ブッダとは一体どんな人だったんだろう。強烈なカリスマ性を備えた人だったんだろうとは想像できるが、背格好、声、性格、纏うオーラは、どのような感じだったのか。そんなことは、スリランカに来るまで考えたこともなかった。このタイミングでテロがあったから祈りをテーマにしたけれど、そうでなければ、スルーしていたかもしれない。そう思うと、ぼくはこのタイミングでスリランカを旅することになっていたのかと考えたりもする。パワースポットという言葉は好きではないが、ソロスマスターナヤには想像力を掻き立てる何かがあるのかもしれない。

■1回目:ブッダが悟りを開いて9ケ月

<マヒヤンガナ> Mahiyangana
マヒヤンガナ
スリランカ最古の仏舎利塔。ブッダはこの地で3つの部族が争いを起こし、それをおさめるためにやってきたとされている。このお寺には、キャンディからバティカロアを目指して走ったときに立ち寄った。大きな町ではないため、訪れたとき参拝者はまばらだった。

■2回目:ブッダが悟りを開いて5年目

<ナーガディーパ寺院> Nagadeepa Purana Viharaya ※
ジャフナ
ジャフナの離島にある寺院。当時のマホーダラ王とチューローダラ王の争いの解決のため来島。争いの無意味さ、平和の大切さを説いて和解させたとされる。

※今回の旅では訪問していない

 

■3回目:ブッダが悟りを開いて8年目

<キャラニヤ寺院> Kelaniya Raja Maha Vihara
キャラニヤ
コロンボの北東約10kmに位置するラジャ・マハー・ヴィハーラ、通称キャラニヤ寺院。ブッダは3度目に来島した際、寺院の横を流れるキャラニヤ川で沐浴したとされる。スリランカの人々のなかでは「キャラニヤは、天国に一番近く、一度お参りすれば、今までの罪を消し去ってくれる場所」といわれるという。満月のポヤデーには、コロンボ付近のお寺のなかで最も賑わうそうだ。個人的には、ここの本堂がスリランカの仏教寺院のなかで一番印象的だった。薄暗い空間の壁面や天井には、フレスコ画が広がる。その空間のなかで信者が祈る姿には、時を超えて祈り続けてきた人々の念を感じた。

 

<スリーパーダ(アダムスピーク)> Sri Pada (Adam’s Peak)
スリーパーダ
スリーパーダは、スリランカの4つの宗教の聖地。標高2,243mの山頂にある聖なる足跡は、仏教ではブッダ、ヒンズー教ではシヴァ神、イスラム教、キリスト教では、アダムのものと言われている。シーズンは12月~4月。未明から登り始め山頂でご来光を臨むのがおすすめ。ぼくは、オフシーズンの8月に、雨がふり強風のなかを登ったが、オフシーズンの天候は荒れるのが相場だそうだ。

<ディワーグハーワ> Diwaguhawa ※
クルガラ
スリーパーダの西側のクルガラという町にある洞窟。ブッダはスリーパーダに登頂後、ここで休憩したとされている。今回の旅では訪問はしていない。

<ディガワーピヤ仏塔> Deegawapiya Viharaya ※
アンパラ
東海岸のカルミュナイから30kmほど内陸に入ったアンパラにある仏塔。ブッダはこの地で聖者とともに過ごしたとされる。仏塔は、紀元前2世紀にサッダーティッサ王によって建立された。今回の旅では訪問はしていない。

<ムティヤンガナ仏塔> Muthiyangana Raja Maha Vihara ※
バドゥーラ
スリランカ南部、内陸のバドゥーラにあるムティヤンガナ仏塔。デーワーナムピヤ・ティッサ王によって建てられたといわれている。今回の旅では訪問はしていない。

※今回の旅では訪問していない

 

<ティッサマハラーマ仏塔> Tissamaharama Raja Maha Vihara
ティッサマハラーマ
ブッダが500名の僧侶と訪れ、瞑想し、ゆっくり時間を過ごしたといわれる場所。仏舎利塔は紀元前2世紀、カーワン・ティッサ王によって造られたとされる。カタラガマを出発し、ハンバントタへ行く道すがら、たまたま遠くに見えたのがティッサマハラーマだった。巡礼者もまばらで静かなところだ。地元の人に、近くに他の仏舎利塔があるといわれていってみたのはサンダギリ仏塔。ティッサマハラーマが白であるのに対し、こちらはれんが色だった。

 

<スリー・マハー菩提樹> Sri Maha Bodhi
アヌラーダプラ
インドでブッダが悟りを開いたとき、背もたれにしていた菩提樹。その分け木を紀元前3世紀、インドのアショーカ王の娘サンガミッタが、スリランカに持ち込み、植樹したものといわれている。訪れたときは長蛇の列。並んではみたものの、幹のまわりは建物でしっかり守られていて全容を拝むことが難しかった。


<ミリサウェティヤ仏塔> Mirisawetiya Vihara

アヌラーダプラ
紀元前2世紀、ドトゥギャムヌ王によって建てられた仏舎利塔。王がティッサ湖で水浴びをして着替えた後に、ブッダの遺品である笏(しゃく)を持とうとしたところ、持ち上げられなかった。王は、この笏を他の場所に移すことはできないと考え、この地に仏舎利塔を立てたそうだ。今回の旅で、この場所を訪れて印象的だったのは、仏舎利塔のまわりに設置されたブッダの像。室内の鮮やかな仏像と違い、塗装がされていないためシンプルで、馴染みやすく表情も穏やかに感じた。

 

<ルワンウェリサーヤ大塔> Ruwanwelisaya
アヌラーダプラ
アヌラーダプラ遺跡のシンボルともいわれるルワンウェリ・サーヤ大塔。現在は高さ55mだが、紀元前2世紀、ドトギャムヌ王が建立したころは、110mもの高さがあったという。かつては、アジア最大の上座部仏教(日本は大乗仏教)の発信基地でもあった。内部には宝石で装飾された部屋があり黄金仏像が納められているそうだ。周辺の仏舎利塔と比べて、手入れが行き届き巡礼者の数も圧倒的に多い。仏舎利塔を時計回りにまわる。祈りながら歩く人々、座り込みお経を唱える集団、瞑想をしている人、それぞれがさまざまな想いで祈りを捧げていた。

 

<トゥーパラーマヤ> Thuparamaya
アヌラーダプラ
ルワンウェリサーヤ大塔から北へ約500mのところに建つ、アヌラーダプラ遺跡群のなかでは比較的小ぶりな仏舎利塔。紀元前3世紀、デーワーナムビヤ・ティッサ王が建てたもので、ブッダの右鎖骨が納められているそうだ。かつてはこの仏舎利塔を覆うように屋根がついていたそうで、今も屋根を支えた石柱が残っている。ぼくが訪れた時は、ルワンウェリサーヤ大塔から近いこともあってか、巡礼者の数は多かった。

 

<アバヤギリ大塔> Abhayagiri Vihara
アヌラーダプラ
かつてスリランカにもあった大乗仏教の総本山。紀元前1世紀、ワッタガーミニ・アバヤ王によって建設されたが当時は高さ110mとかなり高かったそうだ。現在でも75mあり、アヌラーダプラ遺跡群のなかでは最大。現在のスリランカ仏教は上座部仏教で統一されているが、3世紀から12世紀は、スリランカでは大乗仏教が主流だった。その象徴として残されているが、一部レンガが崩れかけているところもあり、ルワンウェリサーヤ大塔などに比べて訪れる巡礼者も少なかった。

 

<ジェータワナラーマヤ> Jetavanaramaya
アヌラーダプラ
マハーセーナ王によって、3世紀に建てれらた仏舎利塔。ブッダの肩骨の一部が納められているといわれる。アバヤギリ大塔とともに大乗仏教の拠点として栄え、近年の発掘作業で般若心経の金板が発掘され有名になった。アバヤギリ大塔とともに表面塗装はされず、レンガがむき出しになっている。訪れる人も少なく閑散としていた。影になるところもないため、日中、石の床は焼けつき、裸足での参拝はかなりきつかった。スリランカのお寺の多くは境内に入る時、靴を脱がなくてはならないため、暑さが和らぐ朝か夕方の参拝がおすすめ。

 

<セーラ・チェーティヤ> Sela Chetiya
ミヒンタレー
ナヌラーダプラから東へ15kmほどいったミヒンタレーの丘の上に建つ。ミヒンタレーの町は小さいが、スリランカで最初に仏教が伝えられたとされ、仏教徒にとっては聖地となっている。麓から長い階段を登っていく途中にもさまざまな遺跡が点在。登りきったところに平地が現れ、巡礼者を迎えるようにセーラ・チェーティヤが建てられている。この仏舎利塔は1世紀にマハーダーティカ・マハーナーガ王によって建てられた。仏舎利塔のまわりには石柱が建てられていることから、かつては屋根が付けられていたと想像されている。仏塔の奥に見える岩山の頂上からの眺望は抜群。周辺にはマハー・サーヤ大塔や大仏、お寺などが点在し、別の方角には、はるか地平線が広がっている。

 

<キリウェヘラ> Kiriwehera Maha Seya
カタラガマ
仏教とヒンズー教の聖地、カタラガマに建つ仏塔。10世紀にパラークラマーバフ王によって建立された。早朝に訪れたときには、高僧の説法が行われていたのか、仏舎利塔のまわりは巡礼者で溢れかえっていた。