20インチの折りたたみ自転車と列車でスリランカを巡った45日

<ナルー祭(ナルー・カンダスワーミ寺院)>

スリランカ最北の町、ジャフナ。ヒンズー文化の香りが強く漂うこの町にスリランカ最大級のヒンズー教寺院ナルー・カンダスワーミ寺院がある。ジャフナには当初、アヌラーダプラから自転車で北上する予定にしていた。しかし、コロンボで、毎年8月に26日間、ナルー祭りがあると教えてもらった。しかも、後半になるほど、その祭りは盛り上がっていくそうだ。当初の予定だとジャフナに7月末に着くことになる。祭りすら始まっていない。せっかく行くなら祭りが盛り上がっているときがいいと予定を変更。自転車の旅を終えた終盤に、列車で11時間かけて、コロンボから400km離れたジャフナに向かった。

昨晩、ジャフナに到着したが、疲れはなかった。自転車と違い、列車はペダルを漕がなくても進んでくれる。寝ていても進んでいく。線路のひずみがひどく、相当揺れるが、それでも楽ちんだった。翌朝、さっそくナルー寺院に向かう。寺院の近くで靴と帽子を脱ぎ、境内に入っていく。大きな監視カメラ付き車両が入口に配備され周囲を監視している。セキュリティーチェックで、所持品を厳しくチェックされた、本殿のほうへ歩いていくと、見えてきたゴープラム(楼門)に驚いた。

本殿の正面

今までスリランカで見たものとは、規模が違った。高くて大きい。正面に立つと24mmのレンズでは納まりきらない。本殿の入口のほうへ回って行くと、多くの人々が祈りを捧げている。荘厳だ。本殿に入る際には、男性は上半身裸になる必要がある。これも他のヒンズー寺院ではなかったこと。撮影厳禁だ。神聖な気持ちで敷居をまたぎ中に入ると、金箔で覆われた煌びやかな空間が広がる。その横に広々とした回廊。床に落ちる光と影のなかを祈りを捧げながら人々は歩いていく。

女性のなかには、五歩歩いて額ずきながら、広い回廊を回っている人もいる。チベット密教のカイラス山巡礼で有名な五体投地がヒンズー教にもあるのだ。真摯に祈りを捧げる人々に紛れながら回廊の端に座ってみた。そして、静かに目を閉じる。居心地のよさとともに何かに守られているような安心感がある。ぼくはヒンズー教徒ではないが、祈りのなかにいると、宗教の違いなど、さほど重要ではないのではないかと思えてくる。我をなくし欲を忘れる。ただ今があることに感謝する気持ち。その先に幸せを願う。祈ることそのものが素晴らしい。ゆっくりと目を開けて、余韻を味わいながら立ち上がり、すっきりとした気持ちで本殿を後にした。

スリランカで見た一番大きなゴープラムだった

夕方から大きなイベントがあると聞き、その時間に再び寺院にいってみた。たくさんの信者が本殿前に集まっている。みな上半身裸だ。話しかけてくれる人もいて、インドから来た人もいれば、遠くロンドンからやってきた人も。世界に散らばっているスリランカのヒンズー教徒がこの祭りのために、戻ってきているのかもしれない。時間が経つにつれて、境内が信者で埋め尽くされていく。本殿の方が騒がしくなってきた。信者たちが少しずつ押し出されるように、背中を向けて出てくる。やがて見えてきたのはムルガン神の神輿だった。神輿とともに人々の熱気も押し寄せてくる。神輿を中心に人の波ができていく。久々に、エンターテイメントとしての祭りでなく、信仰にもとづく祭りを見た気分だ。それはどこか羨ましくもあり、小さいころ近くの神社の祭りで感じた懐かしさでもあった。

本殿の奥から神輿が出てくると、信者たちは一斉に声をあげた
ムルガン神が神輿に担がれて出てくる
境内を練り歩いていく

ジャフナを出発する日の早朝、ナルー寺院に最後の参拝に出かけた。まだ夜が明けきらない5時台、境内に入っていくと、驚くような光景が目に飛び込んできた。男たちが、上半身はだかで境内を転がりまわっているのだ。本殿の見える場所で、腰から足首までタイトに布をまき、足が動かせないような状態で寝そべる。両手をがっちり組んだ状態で転がりながら時計回りに境内をまわっていく。一周すれば600m以上あるのだろうか。境内は土になっているが、途中には水たまりもあれば、アスファルトもある。石の段差もあるが、それらをすべて「アロハラー」という掛け声とともに転がりながら越えていく。そのゴールは本殿入口。そこに到着し祈りを捧げてこの行は終わる。驚きで言葉がなかった。人が転がりながら移動していくことを想像したことがなかったのだ。

コロンボで仲良くなったヒンズー教寺院の僧侶、クリシュナにLINEでたずねてみた。この修行はサンスクリット語で「ピナッチェラ・ナマスカーラ」というそうだ。ムルガン神への感謝を示すとともに、心身を整える効果を狙ったものでもあるらしい。彼によると、ヒンズー教は、末長く健康な体を保つため科学に基づいた実践修行をする宗教だそうだ。ヨガもその修行のひとつであり、この修行もそれと同じ思想に基づいてなされているということだった。呼吸を整え、体内に入れるものを整えていくと、自浄作用が働き、体がきれいになり、免疫力があがっていく。すると健康が維持できていく。ヒンズー教とは、信仰の対象だけでなく、心と体を鍛えて整える生活様式に根ざしたものにもなっているようだ。

異国を旅すると、いろんな発見があるが、ぼくにとって忘れることのできない出来事のひとつになったのは間違いない。世界には知らないことがまだまだある。自分の尺度で測れないものがたくさんある。そのことを教えてくれるのも旅の醍醐味のひとつだ。

境内を横に転がりながら一周する行、ピナッチェラ・ナマスカーラを始める前の祈り
水たまりの中も、アスファルトの上も転がっていく
普段しない動きをしているから、体力的にかなり厳しいのではないだろうか
ヤシの実を手に持って転がっている人もいる
本殿の入口でフィニッシュだが、渋滞している
行が終わった若者たち。清々しい顔をしている
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