今日はスリランカではポヤデー(満月祭)。
満月の日は休日になるのだ。

不浄な行いをせず、体をやすめ
お寺にお参りをして、清らかな心で
1日を過ごしましょう!という日。
スリランカでアルコール販売できるのは
酒屋さんのみ。
そのお店も今日は休日となる。

そして、ぼくもポヤデーなのだ。
つまり宿でごろごろしている。
体を休める日にした。
この旅で初めてだ。

昨日の宿探しで一悶着あった。
ブッキングドットコムで
宿を前日に予約していたが、
行ってみると満室。

オーナーの友達が
うちの宿に泊まれと連れて行かれた宿は
ぼくには無理だった。

その後も知り合いの宿を
紹介してくれるが
どの部屋もダメ。

宿に関してはかなり許容範囲は広いほうだが、
ちょっと次元が違った。
汚れた衣類が山積みになっている、
物置のように不要なものが散乱しているなど
かなり汚なかったのだ。

彼らに悪気はない。
しかし意識の違いで、
不信感がてんこ盛りになり
自分で探す!と、彼らを振り切り
見つけた宿に飛び込んだ。

料金は少し高いけれど
エアコンが付いているし
2泊するからと値引きにも応じてくれた。

というわけで、今日は涼しい部屋で
ダラダラとしているわけだ。

朝4:30に起きて、カタラガマ神殿に
お参りをして、それからは部屋でごろごろ。

何もしないことが、
ちょっと嬉しかったりする。

昨日と一昨日は、山越えを含めて
計300km近く走った。
さすがに太ももや背中、腰に疲労がある。

スリランカの人たちは
多くがフレンドリーで陽気だ。

自転車で走っているときも、
ハローという声がいろんなところから
飛んでくる。

お店で休憩しようとすると、
必ずと言っていいほど、
誰かが声をかけてくる。

そして、どこへ行く?と
必ず聞くのだ。
どこの国から来たのか?
結婚はしているのか?
子供は何人いるのか?
何日スリランカにいるか?
名前は?
ほぼこの内容だ。

確かにフレンドリーだと楽しい。
声をかけてくれるのもうれしい。
しかし、暑さと疲労で
ぼろぼろになっているときは
その声に応えられないときも多い。

申し訳ないと思いつつも
それどころちゃうねん!と
心で叫ぶ。

ここ1週間ほどは、東海岸沿いを
走ってきた。
イスラム教徒が多い地域だ。

スリランカのなかでも
声をかけてくる人が特に多い印象だ。
記憶に残っているある店でのこと。

暑さでへろへろになっていたとき
コーラと水を求めて店の前で自転車を止めた。

現地の人が5〜6人がいたが
自転車をロックをしているときから、
始まった。

どこから来た?・・・
おっと来ました、お決まりの質問。

一通りこたえて、席に座る。

すると、別の人がテーブルの前に座り
また同じ質問。
終わると、横で立っていた仲間が座り
また同じ質問。

まわりで取り囲んで聞いているはずなのに
入れ替わり同じ質問してくるのだ。
そして、また、また、また・・・。

ついに、
さっき、横で聞いとったやろ!!!
そんなツッコミを日本語でいれながら
勘弁してもらった。

帰り際に、噂を聞きつけた
近所の人が、またやってきて
どこから来た?

出発するときに、その仲間が現れて
どこ行くの?

この町はコントか!

そんな捨て台詞を言って
手を振りながらその場をあとにした。

イラっとしたことは
何回もあるけど
やっぱりフレンドリーなのは
ありがたいことだ。

一人で旅はできないから
声をかけてもらえるのはありがたい。

道がわからないとき、
自転車に不具合がでたとき、
道端で止まっていると
誰かが声をかけてくれる。

山越えの坂道をよろよろ登っていると
トラックに乗れ!と止まってくれる
ドライバーさんもいる。

優しくて人懐っこい人たちだ。

スリランカの人は、寝るときに
一人だとさみしくて寝られないと
聞いたことがある。

彼らにとって、人がまわりにいることは
日本人のスマホに近い存在でも
あるのかもしれない。

ないとどこか不安になる。
あるととりあえず安心できる。

何かとつながっていられる安心感。
それがスマホを介したものか
べったり人間となのか、
そこの違いなのかもしれない。

ぼくはこの国をグーグルマップに
聞きながら走っている。
彼らは、人に道を聞きながら走る。

スマホを置いて、スリランカ人のように
人とのつながりだけで旅をしなさいと言われると
今は難しいかもしれない。

そういえば、若い頃は、身振り手振りで
道を聞きまくって、旅をしていたものだ。
当時から、スリランカ人ほど
濃密なコミュニケーションではなかったと思うが
少なくとも人をもっと頼りにしていたし、
人といることの安心感を
今以上にもっていたように思う。

スマホができて本当に便利になった。
その便利さは、日常のなかで
もはやなくてはならないものになりつつある。
しかし、その一方で、スマホの充電がきれたとき、
頼りにしていた、あるはずの世界との
交信がきれてしまう。

見えないけれど、きっとあるはずの世界と
交信するために、右手にスマホを
左手に予備のバッテリーを
握りしめて、ぼくは旅をしている。

スリランカ人は、
人と人が手をつないで生きている。

スマホを手放すことは無理でも
使わない日、使わない時間を決め
誰かと手をつなぐ時間に費やすことは
きっとできる。

それが何かわからないもやもやした不安を
少しでも減らしてくれることになるかもしれない。

そんなことを考えたポヤデーでした。

 

トラックの荷台から荷物を下ろす人夫。ぼくにはかっこよく見えた。

 

細い体で100kg以上の荷物を運ぶ人もいる。

 

仏歯寺の入口通路。朝5時でも参拝者だらけ。スリランカ人の朝は本当に早い。

 

仏歯寺の本堂。祈りを捧げる人のなかに混じって瞑想する人もいる。若い女性が板の間にも関わらず半結跏趺坐(はんかふざ)で瞑想中。

 

バス停でくつろいでいたおじさん。

 

トゥクトゥクを改造した移動パン屋さん。大阪市のゴミ収集車のメロディを流してやってくる。
ぼくは結構お世話になっている。

 

キラキラした笑顔でこちらを見ていた女の子。撮らせてもらった。

 

ブッダはスリランカに3回訪れたと言われているが、最初に来たのがマヒヤンガナ。そのお寺でお祈りしていたおばあさん。
祈る姿は美しい。

 

海の家?と思うようなところにキリスト教会。誰もいらっしゃらなかったが、日陰できれいな海を眺めながら、休ませてもらった。
吹く風がドライヤーのようだ。

 

スコール前の空。写真を撮っていて、カッパをきるのが一瞬遅くてずぶ濡れに。

 

 

=2019スリランカの旅協賛=

 

1件のフィードバック

  1. CREOの三宅です。お久し振りです。いつも写真を見せていただいてるのですが、ついついコメントもなしですみません。頑張っておられるんだなあ、、、思いつつ。
    こちらに帰って来られたら、お気軽にお立ち寄りください。 CREOも頑張ってま〜す。

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