広重が見た同じ富士山を見る

昨晩に続き、今日もテントの外が賑やかだ。
日曜日でもないし、なんだと思っていたら
ラジオ体操に集まってこられた
お兄さん、お姉さん方だった。

お世話になっていたのは、
静岡駅から西へ500mほどの常磐公園。
街中にあるにしては比較的規模が大きい。

大きな街の公園で一晩を過ごす時は
目立つところにテントを張らせてもらっている。
隅の目立たないところに行きたくなるけど
ぼくは避けるようにしている。
目立たないところは、
悪さをされても目立ちにくい
との考えからだ。

真夜中に何度かテントの横を
通る足音が聞こえていたけど、
睡魔が覆いかぶさってくるので
それどころではなかった。

身支度を整えて、
お兄さん、お姉さん方に囲まれる前に
6:40出発。

今日は藤枝駅を目指す約22kmの工程。

歩きはじめてしばらくすると
安倍川が見えてきた。
この川も川幅が広いため
大橋を渡るのも時間がかかる。

通勤時間帯だから交通量も多く気を使う。
橋の上で少し広くなった場所にリヤカーを止める。
振り向くと、富士山が見えるが
ずいぶん小さくなった。

神奈川では、進行方向の先に見えていた富士山が
静岡に入るとだんだんと真横に見えるようになり
今は振り向かないと見えない。

昔の人は、富士山の見える角度で、
歩いてきた距離を測ったりしたのだろうか。

江戸時代とは街道の様子は大きく変化した。
だけど、それぞれの町から見える富士山は
なんら変わらない。

見上げればそこに江戸時代がある。
広重が見た富士山がそこにあるのだ。
山梨側から見れば宝永山は見えない。
すると、さらに昔へとタイムスリップできてしまう。

足元の時の流れと見上げたそこにある時の流れが
同じであって違う。
昔の人たちの感動が、今の時代にまで
共振してくるような、
時を超えたスケール感が富士山にはあるように思う。

しかし、これからはその姿は次第に小さくなり
やがて見えない場所へと歩いていく。

進行方向に見えていた富士山が後ろに。別れが近づいてくる。

静岡では「コクイチ」

今日は峠をひとつ越えることになっている。
だんだんと道は細くなり、山あいへと入っていく。

言い方は悪いが
面白くない道をひたすら歩いている。
景色が良いわけではないし
道が良いわけでもない。
すれ違う人もなく、ただ歩く。

静岡に入ってからだと思うが
国道1号線のことを「コクイチ」と
地元の人たちは呼んでいる。
神奈川でもそう呼んでいたのか
記憶が定かではないが
ここ静岡では老若男女問わず
「コクイチ」とよく耳にする。

大阪や京都、兵庫、滋賀では
ふつうに1号線という。

場所が変わると道路の呼び名も変わり、
エスカレーターに乗る側も変わる。
面白い。

これだけ日本が標準化されてもなお、
こうしてその地域ならではのものにふれると
ほっとする。
同時に、コクイチがどこから使われ始めたか
もっと注意しておくべきだったと反省。

緩やかで長い坂道が続く宇津ノ谷峠。
そのてっぺんがトンネルになっていて
内部に静岡市と藤枝市の境界表示があった。

トンネルを出ると下りだが
一号線はその先から自動車専用道路に。
県道を進み岡部宿に到着したが
資料館などはお休みだった。
趣のある立派な建物が建っているが、
町としてはあまり活気がないようだ。

簡単に写真だけ撮って
藤枝駅へと向かう。

ここまで休みなく歩いてきて
疲れがたまっているようだ。
慣れないリヤカーを引くことに
慣れてきたようで少し気が緩んでいる。
その隙を狙うように疲れが
押し寄せてくるようだ。

とにかく寝たいという欲求が強い。

藤枝駅に着くが人がまばらだ。
今にも雨が降り出しそうで寒い。

売れそうな気はしなかったが
とりあえず形だけでもお店を開くことに。
しかし、誰も近づいてこない。

今日は誰かと話しをしただろうか。
誰とも話しをせず、黙々と歩き、
手をこすりながら、ただ路上に立つ。

時間も来たので仕舞うことにしたが
かたづけているときに、
一人の女性が立ち止まってくれて
買っていただくことができた。

これで東京からまだ販売数0がない。
ありがたい。
疲れているけど
ツキはまだありそうだ。

峠の終わりは長いトンネル。疾走する車の横をソロリソロリと。
静岡市と藤枝市のボーダーを越える
岡部宿の入口
ココロハチマキカレンダー様の御な〜り〜
岡部宿の大旅籠、柏屋さん
紅葉も終わりの季節

 

時を刻んだ柱の傷

今日はこのあと後輩の実家に
お邪魔することになっている。

その後輩は、ベトナムで働いている。
ご両親とお会いするのは初めて。
ついでに言ってしまえば、
ご両親とも元学校の先生。
お父さんにいたっては、
校長先生を努められた方だ。

しかも、大学で非常勤ながら教鞭をとられ、
同時にご自身も大学に通うという
かなり勉強熱心な方だ。

そんなお家に、こんなアウトローがお邪魔して
大丈夫だろうか。
無礼者!と怒られはしまいか。
そんな不安を抱きながらお宅に向かった。

家の前まで行くと、お母さんが
迎えに出てきてくださっていた。
そして、お父さんまで。

大きなお家の玄関に入れていただく。
そして、通されたのがおばあさんが
住まわれていたお部屋。

後輩から以前、
おばあちゃんと仲がよかったと
聞いたことがあった。

彼とおばあちゃんは
この部屋でどんなことをして遊んだのかと
想像を巡らすと時を遡るような気持ちになる。

後輩という一つの点が、ご両親や
おあばさんのお部屋と出会うことで
面として広がりを持ち始めるのだ。

小さな机の上に、みかんや水の入ったボトル、
お手拭き、お茶うけなどを置いていただいている。
こんなことをしていただく身分でもないのに。
お母さんのご配慮に感謝だ。

一番風呂に入れてもらい
その後、ビールをいただきながら
美味しい食事をいただく。

後輩が好きだったおかずのことなどを話す
お母さんがうれしそうだ。

アカデミックな家庭だけあって
お父さんの話しも興味深い。
いろんな話しを聞かせていただき
食事の時間はあっという間にすぎていく。

久しぶりに手づくりの家庭料理を
たっぷりといただき
お腹いっぱいになったところで
休ませていただくことにした。

おばあちゃんの部屋に戻ると
布団がすでに敷いてもらっている。
旅館のような待遇にますます恐縮。

酔い覚ましに机の上のお水をいただく。
ゆっくり飲み干しながら
部屋を見渡していると
柱に傷を見つけた。

いくつも横に引かれた線は
下から上まで伸びている。

時を刻むように
彼と妹の成長を刻んだ跡だ。

その家族の歴史の一部を
今こうして自分が見ていることの不思議。

この背丈のときに、
彼は自分がベトナムで働くことを
想像できただろうか。

「ぼくおばあちゃん子だったんですよね」
酒を飲みながら聞いた彼のその言葉が
数十年の味わいとともに
思い出された夜だった。

駅はきれいだった。

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