民宿多喜から外に出ると
リヤカーは夜露でびっしょりだった。
軽く拭いて荷物を積み、
宿のご夫婦に見送られて出発。

気温は低いが天気はいい。
今日は三島まで17kmを下る。

その前にもう一度芦ノ湖を見ておきたい。
冷えた空気のなか歩くこと5分で着いた。

太陽が当たるところにリヤカーを置いていると
メラメラと水蒸気があがる。
昨日の坂でぼくは足腰が重いが
リヤカーが元気いっぱいだ。

こんちくしょう、とは思わない。
苦労を共にすると
凶暴な相棒にも愛着がわいてくる。

ここは箱根駅伝の復路スタートの場所。
箱根駅伝の熱烈ファンというわけではないが、
正月は毎年テレビで観ている。
何十年も観続けてきた、
往路のゴールと復路のスタート。
そこに今自分がいるのが不思議だ。

芦ノ湖を背にすると、先に信号が見える。
その信号を左折すれば東京へ、
右折すると静岡へと降りていく。
ここでお別れか。
と思うと少しさみしい気もする。
同時にここから旅の第2章が始まるんだ、
そんな気持ちで信号を右折した。

 

昨日富士山を見たのは元箱根。こちらは箱根。富士山がちょこっと見える。

 

この看板を何人が見たのかな。歴代山の神たちも見たんだろな。

 

箱根を出ると、もう下りだと
勝手に思っていたが違った。
まだ箱根峠のテッペンまでは2km以上ある。

じわじわと上っていく。きつくはないが
もう十分です。と言いたくなる。

芦ノ湖が眼下へと移動していく。

箱根峠、846mの看板が見えてきた。
東京、神奈川を終えていよいよ静岡だ。

 

芦ノ湖を下に見るとは。どこまで上らせるんだ。と言いたかった。

 

標高846m。ハシロー。東海道を区切り打ちで走っている人、ぜひ走ってのぼってください。

 

県境には都道府県の看板以外に
なにがあるわけでないが
工事の看板が静岡県になっている。
こうした小さな違いを見つけるのがおもしろい。

車のナンバーも少しずつ変わってくる。
湘南ナンバーが減り、沼津や伊豆など
静岡県のナンバーが増えてくる。

民家があるわけじゃないのに、
峠を越えると変わるのだ。

静岡県側を下っていると
もうひとつ変化があった。
トラックの数が明らかに増えるのだ。
なぜか。
小田原から箱根には、
自動車専用道が通っている。
トラックの多くは細い道を避けて
その道を通ってくるようだが、
終点が箱根峠の手前で
この道に合流してくるから
トラックが増えるのだ。

昨日上ってきた道には
旧道ということもあったが
トラックがほとんどいなかった。

しかし、下りはバンバン通る。
人が通れる幅の歩道はあるけど
リヤカー仕様にはなっていないところが
結構あるのだ。
しかも、草たちがのびのびと
繁茂している。
そのなかをバキバキと
草をかきわけ降りていく。

これは想像以上にやっかいだ。
ぼくは通れてもリヤカーがひっかかる。
車輪に絡みつくと取るのに必死。
特に、タイヤの中心、ハブに絡みつくと
悲しいことになる。

きれいに整備された箇所もあるが、
だいたいは狭い。

もういやだとばかりに道路を歩くが
トラックが来るたびに
気持ち左に寄せて止まる。
手を上げて過ぎ去るのを待ち、
過ぎ去ったらまた歩くの繰り返し。

フェイスブックでいいですよ〜と
教えてもらっていた
スカイウォークが見えてきたが
駐車場も観光バスでぎっしり。

ここを早くぬけたいと
そのまま突っ切った。

途中から旧道が出てきたので、
右折してそちらへ。

センターラインもない細い道。
やっと車が少なくなって落ち着ける。
ふ〜っとしたのもつかの間
ここでまたしても悲劇が。

ゆるやかに下っていくと
道が細くなりはじめ坂が急になってきた。

たちどまり、リヤカーを下ろす。
少し歩いて先を見に行くと、
道が変わったように、
勾配がきつくなっている。
その先の角度のきついカーブは
渦潮の渦のように
道が下に落ち込んでいっている。

道幅も狭い。前から車がきたら、
かわせるかどうか。
まずいなぁ。と思いつつ、
来た道に目をやると、
下を向きたくなるような坂だ。
もう上るのは嫌だ。
あの道に戻るのも嫌だ。

このまま行こう、
なんとかなるやろ。と出発。

昨日の上りとは打って変わって、
踏ん反り返った姿勢で
足をふんばりながら下りていく。
しかし、リヤカーは
容赦なく転がってくるのだ。

だんだんと踏ん張りがきかなくなり、
「はよいけや!」とヤンキーばりに
背中をどんどん押してくる。

しまいに足がパタパタパタと小走りに。
気持ちはアタフタと。
やばい。
体をブルブル震わせながら
命を守るために、命をかけてリヤカーを
止めようとするが止まらない。

もうアカン、リヤカーに引かれてしまう。
あ〜っと思った瞬間、
とっさの判断で、山側のブッシュへダイブ!

ガジャガジャガガガガーといいながら、
リヤカーは止まった。
幸いすり傷と軽い打撲ですんだが
怖すぎる。

その場ですこし休みたかったが、
車がきたら、また難儀だ。
狭い道を九十九折に歩く。
スピードが出そうになったら
止めて体勢を整える。
それを繰り返しながら、
降りることができた。

上りは辛いが下りは怖い。
恐るべしリヤカーよ。
箱根峠よ。
できることならブレーキが欲しい。

富士山は今日も男前だった。惚れます。雲の動きをずっと見ていたかった。

 

三島駅に到着。
小田原とは雰囲気が違う。
駅前は高齢者の憩いの場になっている。

ぼくが声を出してカレンダーを
アピールしている横で
おばあさんたちが座ってしゃべっている。
ちょっと申し訳ない。

暇そうにしていたおじいさんが
話しかけてきてくれた。

毎日散歩をしているそうだ。
まったくカレンダーのことには触れず
おじいさんの若いころと今の話しを聞く。
お決まりだけど、戦争の話しではなかった。

このおじいさんは、バツイチだった。
別れた後は三島にいづらくて、
大阪に行って働いたそうだ。
そこで、いい人を見つけて子供もできた。
大阪で数年働き、東京で働き
そして何十年かぶりに
地元に戻ってこられたそうだ。
なぜ、そんなプライベートな話しを
延々と話すの!
ぼくはカレンダー売ってるんですけど、
とはいえず、しばらく話しを聞いていた。

また、他のおじいさんには、
「富士山をこんなにまじまじと
見られて感動です!」
というと、
「冬は雪がかぶって、
まぁきれいかしらんが、
夏はただの黒い山」だそうだ。

「わしら生まれたときから見てるから、
な〜んとも思わん」と
隣のおじいさんもいう。
とそこからがまた長い。

ぼくはカレンダーを
売りにきているんですけど〜
まぁ、のんきな感じだ。

それでも、声を出して宣伝していると
寄ってきてくれる人がいる。
ベンチャーで起業をしたという若い男性、
年配の女社長さん
驚きと励ましの言葉をいただきながら
買ってもらった。

日もずいぶんくれて
そろそろしまおうかと思っていると
一人の女性がカレンダーを
見にきてくれた。

ぼくが一通りの話しを終えると、
彼女が話しを始めた。

近くの飲食店で働いているが
今日、上司から怒られて
ひどく落ち込んでいたらしい。

失意の中、休憩に出たところ、
ぼくが楽しそうにカレンダーを
販売しているのを見て
やって来てくれたそうだ。

そして、旅の話しを聞いていると、
怒られてくよくよしている自分が
馬鹿らしくなってきた。
元気をもらいました!
と言ってくれたのだ。

薄汚い格好をした怪しいリヤカーマンが
一瞬でも人のお役に立てたようで
すごくうれしかった。

自分が好きなことを通じて、
人より得意なことを通して
誰かのお役に立てることが
こんなにもうれしいことなのだ。

ぼくは彼女の話しを聞きながら
実感としてそのことを教えてもらった。
お互いさまなのだ。

 

今日は晴れているので野宿。
グーグルで調べた公園に向かう。

トイレもあるし、水道もある。
周りは住宅街だけど誰もいない。
サッとテントを設営すると
今宵も一人宴会。

ビールを飲むとブルッと震える。
そうだカイロを貼ってない。
お腹、腰、背中に貼りまくり
2重の寝袋に潜り込む。

じんわりぽかぽか暖かくなってくると
襲ってくるのは強烈な睡魔。

「宴もたけなわなのに〜」
そのかすれた声が
今日の最後の言葉になった。

三島駅に到着。まわりには高齢の方達が。

 

ちょっとサマになってきたか?ココロハチマキ行商部。風がないといい感じになるんですけどね。

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