昨年は本当によく歩いた。
4月下旬から約3ヶ月サンティアゴ巡礼道(カミーノ)1,700km。
そして11月下旬からちょうど1ヶ月東海道リヤカー行商の旅は560km。
4ヶ月も歩いていたことになる。
自分でもこれだけ歩くことになるとは思ってもみなかった。

 

50歳で旅の写真家としてデビューし最初に旅するのはカミーノと決めていた。
これは〈50歳の冒険〉として昨年のぼくの大テーマだったから予定通り。
そして歩き切ることもできた。ヤッター!

 

しかし、リヤカー行商の旅は、
〈50歳の冒険〉の予定にはなかった。
アイデアのかけらすらなかった。
そんなぼくが東海道を歩くことになったのは、
2018カレンダーだ。

 

たくさんの人に出会って、ぼくを知ってもらって
カレンダーを買ってほしい。
しかも、50歳の冒険の締めくくりにふさわしい方法で。
それらの条件を満たすものは何か
それが行商の旅だった。

 

カミーノを歩くための旅の資金は、
2017カレンダー(一昨年販売)をたくさんの人に
買っていただくことで得ることができた。
しかし、この時は〈50歳の冒険〉写真家としてデビューします!と
息巻いていた旅だったから、がんばれよ!と
ご祝儀の気持ちで買ってくれた人も多かった。

 

だけど、今回はそういうわけにはいかない。
同じように買ってもらえると思てたら痛い目にあうで!と、
眉間にしわを寄せたもう一人の自分が連呼する。

 

さらにもう一人の強面の自分も
あんたのことなんか、だ〜れも知らん。
だ〜れも気にかけてへん。
そんなところから始まるんや、わかっとる、新人さん。
と、ぼくのおでこにおでこを寄せて、そういうのだ。

ぼくの活動を知ってもらいたい。
そのために、どんなことをすればいいのか。
インターネットに広告を出してみたらどうだろう。
扱ってもらえるお店を増やしたらどうだろう。
書店に持ち込んでみようか。
アマゾンで販売してみたらどうだ。
いろんなことが浮かぶけれど、面白い!と思える
ものが出てこない。
どうしたものかと思っているうちに、日はどんどん過ぎていき、

カミーノを歩けばアイデアもでてくるかも。と
他力本願な考え方でパリ行きの飛行機に飛び乗った。

 

 

カミーノの記録は歩いている時に
ブログを更新していたので、
興味がある方はこちらをご覧ください。

 

 

3ヶ月後、無事にフランス〜スペイン1,700kmを
歩ききって日本に戻ってきた。
たくさんの出会いや感動、そして4万枚ほどの写真を
ザックに詰め込んできた戻ってきたけど、
カレンダー販売方法のアイデアを
カミーノは与えてはくれなかった。

 

カレンダーづくりは始めたが、
カレンダーの出口が決められていない。

 

ある日、一緒にカミーノを歩いたザックの労をねぎらうために
ゴシゴシと洗っていた。
重い荷物を詰め込まれていたのに弱音も吐かず、
ぼくの背中でがんばってくれた。
ありがとう〜と。ゴシゴシとこすりながら
思い出していると、ふと頭に浮かんできたことがある。
自分よりも大きくて重そうな荷物を弱音も吐かずに
背負って歩く、行商のおばさんたちが姿だ。

 

小学生のころ、ぼくの故郷舞鶴で汽車に乗ると
大きな荷物を背負ったおばさんたちが乗り込んでくる。
そのおばちゃんたちの荷物の大きさに
目が釘付けになった。
ハーーーーッ!!!!!
というとてつもない驚きと
尊敬の念を現すようなため息が
こころのなかに鳴り響いて消えなかった。
商売とはこんなにも大変なんだ。
同時に、なんてたくましいんだ。
と、小さいながらに、そんなことを感じたことを
今でも覚えている。

 

新人写真家。だれもぼくのことなど知らない。
ならば、知ってもらうために歩こうじゃないか。
会いにいって、話しをして買ってもらおう。
あのあばちゃんたちがやっていたことを
新人だからこそやってみよう。

歩いて作ったカレンダーを歩いて売りにいく。

 

そう思い始めると、ワクワクしてきて
家のなかをぐるぐる歩き回り始めた。
家のなかでは気持ちが収まりきらなくなり、
外に出てうろうろしながら考えた。

 

カレンダー何百冊も背中に担ぐことはできない。
どうすればいい。運び方を変える?何に?
どこを歩く?日程は?予算は?
いろんなアイデアが頭のなかをかけめぐり
シナプスが増殖し、バチバチバチと音を立てるように
アイデアがつながっていく。

 

そして、完成したアイデアが
〈ほぼ東海道57次リヤカー行商の旅〉だった。

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